むかしの日記から

1997-06-01(日)
えー、チケットの半券をどっかやっちゃったので正確なタイトルや時間は分からないのだが、西武百貨店池袋コミュニティ・カレッジで開かれた浅田彰とキース・ヴィンセントという人の対談を見てきた。この催し(「セクシュアリティとアクティヴィズム」とかいう題だったかな)は、**ちゃんから「浅田彰の講演会がある」とだけ聞いて何の予備知識もなく見にいったのだけれど、会場で渡されたチラシやパンフレットなどを見てみると、「アカー/動くゲイとレズビアンの会」という同性愛者の団体が中心になってまとめた『ゲイ・スタディーズ』という本の刊行記念として開かれたらしい(「アカー」というのは英語のoccurのこと)。キース・ヴィンセント氏も司会の風間孝氏もこの団体のメンバーである。『ゲイ・スタディーズ』という本は、同性愛に対する無理解と差別に由来する「ホモフォビア」(同性愛嫌悪)をいろいろな表象のなかに探ってゆくというような内容らしい。
なにしろ同性愛についてはほとんど知るところがなかったので、はあそういうことがあったのかあという驚きがまずあった。「ホモフォビア」という言葉すら知らなかった(もっとも、そんなに一般的な言葉ではないらしい…と思っていたが今『ランダムハウス』をひいてみたらちゃんと出てました)。『ゲイ・スタディーズ』のなかでは大江の『われらの時代』に見られるホモフォビアなどがとりあげられているらしくて、そういう読み方があるということすら考えていなかったので大変興味深い。いったんこういう視点を獲得すると、世の中に満ちているさまざまな差別表現が目につくようになって勉強になる。
ただ、同性愛にかぎらずいろんな差別問題に触れるたびに同じような感想を持ってしまうのだけれど、特にそういう問題の当事者というわけではない私はさしあたりどうすればよいのだろう、と思う。これについては話の中で浅田が「自分は同性愛者でもないしかと言って全き異性愛者というわけでもなく、そのようなどちらでもない立場から発言するということを自分の倫理として選びたい、ある立場に身を委ねて圧倒的に正しいことを言うのは気持ちが悪い」と喋っていたのが手がかりになる気がする。まだちゃんと結論出せませんが。
ところで初めて生浅田を見ることができたのだけれど、この人ただのインテリかと思っていたら、これがとんでもなくエネルギッシュでびっくりしたのであった。キース・ヴィンセント氏がわりと普通の研究者という感じでひととおり喋った後、浅田の番になると彼はいきなり「顔が見えたほうがいいと思うので立ちます」といって立上がり、まあマイクを通してだけれどすごく大きな声で喋り始める。そうやって喋っている浅田彰を見ていると、アカデミズムの研究者というより何かの活動家のように見えてくるのである。話の内容よりもそのスタイルのほうに大変感銘を受けました。というわけで今日は「ホモフォビア」という言葉を覚えたことと、生浅田を見られたことがいちばんの収穫であった。
浅田彰の体力に感心した私は途中から頭が痛くなってしまって、草臥れつつ帰る。情けない。

ゲイ・スタディーズ

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