斎藤美奈子『冠婚葬祭のひみつ』(岩波新書)をよんだ。

きょう図書館に行って『冠婚葬祭のひみつ (岩波新書)』を借りてきた。おもしろい。
岩波新書の赤版の新シリーズのラインアップとしてこの本のタイトルをみたとき、「斎藤美奈子もヌルい本書くなあ」なんておもってしまったのだった。たんに「虚礼なんてくだらないからやめましょ」みたいな内容なのかとおもったのだ。でもまあそんな話を新書1冊かけてするはずもなく、あんがいハードな内容であった。ちゃんと読まないで判断するのはいけません。
この本によれば「冠婚葬祭」の「冠」はもともと元服のことで、いまでは誕生から成人までの成長の行事を指す場合が多く、「祭」は何回忌とかお彼岸・お盆など祖先を祭る儀式を意味し、転じて年中行事全般を含めるようになったのだという。しかしなんといっても「婚」と「葬」が2大イベントであるわけで、著者は「婚」を論ずるに当たってきちんとフェミってみせ、「葬」を語るに上野千鶴子っているのである(なんだそりゃ)。
まあ著者のスタンスがそういうものでなくても、あらためて「結婚式なんかやんなくてよかったなー」としみじみおもった。やるほうも出るほうも大変である。「いまどきの結婚」の章で著者も言うとおり、

結婚式で本人以上に「盛り上がって」いる人はいないということは一応知っておきたい「常識」である。大切な彼や彼女のお祝いだと思うからこそ、参列者は万障繰り合わせて「出てあげて」いるのである。

ということなのだ。
また結婚後どちらの姓を名乗るかについて、

もし本当に、心の底から「どっちでもいい」のなら、妻の姓を選ぶことをすすめたい。といったとたんに「えっ?」と思ったあなたは、なぜ「えっ?」なのかを考えられたし。

という一文にはぎくっとさせられた。「えっ?」と思っちゃいましたわたし。ちょっと自己批判しないと。
その他備忘のため引用(転載)

こうした伝統的な産育行事(と民俗学では呼ぶらしい)は形骸化して今ではあまり行われていない……のかと思ったら、あにはからんや、若い世代のほうが熱心だったりするのである。宮参りの実施率は若い世代の母親で四十%、シニア世代でも十五%。子どもに餅をしょわせる初誕生日の行事(一升餅、力餅)は、若い世代の九割が知っていて実施率が八割。シニア世代はほとんど知っていたものの実施率は半数だったという調査もある。(中略)
イベント好きな世代はどこまでもイベント好きなのだ。子どもの数が少ないことに加え、これは冠婚葬祭が本で学ぶ「情報」になったことも関係しよう。なにせ今では、育児書にもこの種の情報が必ず載っているのである。
命名書…は父親が書き、ベビーベッドの頭上や部屋の高い位置に飾り、簡単なお祝い膳を家族でいただきます>(お七夜)といわれたら、市販の命名書というペーパーアイテムを買うでしょうやはり。<お祝い餅は、和菓子店で事前にオーダーしておくといいでしょう>(初誕生日)と言われたら注文するでしょう餅を。

こういう、くだけてるけどくだけすぎない口調は斎藤美奈子の芸だなあ*1
「葬送のこれから」の章、<めいっぱいシンプルにするなら、この方法>という節では「直葬」という形式がこう紹介されている。

今のところ「何もしない」に近いのは、通夜も葬儀も告別式も行わず、火葬だけを行う方法だろう。

1. 役所に死亡届を出して火葬許可証をもらい、その場で火葬場の予約をする。
2. 葬儀社に頼み、寝台車で遺体を自宅か火葬場に搬送する(火葬場には霊柩車でないと入れない決まりがあるが、自宅に搬送するならバンなどのマイカーでも可)。
3. その晩は自宅でゆっくりお別れをする(本当の意味での夜伽である)。火葬場の保管庫などで遺体をあずかってもらうなら、送る側はいったん帰宅する。
4. 翌日、火葬炉の前で棺に花を入れるなどして短いお別れをし、火葬にして収骨する。
 葬儀をしないのだから、会場も祭壇も不要、必要なのは、遺体を搬送する車輌、遺体保護のシーツ、棺、ドライアイス、火葬料、収骨容器(骨壷)、火葬許可証だけ。ある葬儀社のプランでは税込み19万2150円だった。

葬儀は形じゃなくて心だと思うなら、そしてそれが精一杯のことならばこれでもべつに問題はないのだ。

自分が死んだときはこれがいいや。

*1:ちょっと自慢をすると、ウチはコドモが生まれてもこういうイベントは一切やらなかった。上5歳下3歳のときの七五三だけ。