別役実「犯罪—その処方箋」より

犯罪が発生する度に、我々がその犯人探しに熱中するのは、必ずしも真実を明らかにし、正義を行うためではない。犯罪が起ると同時に我々は、我々自身がその無意識の共犯者であることを知るのであり、本能的にその連鎖系を断ち切ろうとする衝動に駆られて、そうするのである。犯人探しというのは、犯行者を全ての連鎖系から切り離し、孤立させるための試みにほかならない。
……
我々は犯罪学者ではないから、犯罪を論理的に説明しようなどとは考えない。我々は統治者ではないから、治安を保つために犯罪を撲滅しようなどとは考えない。我々は道徳家ではないから、我々が決して犯罪者にならないだろうなどとは考えない。また我々は犯罪者でもないから、その行為を正当化しようなどとも考えない。
我々は生活者である。そして不安な生活者である。我々の「生活感覚」を律するものは、「昨日まではこれでやってこれたから、今日もこれで大丈夫だろう」という程度のものである。大地を一歩一歩踏みしめるようにして、生活を確かめているのではない。むしろ力のよりどころを持たない、宇宙遊泳者のように、生活を漂わせているのである。
だからこそ我々は、こうもりが闇の中で音波を発し、その反響音によって闇の内部構造を確かめているように、我々の内にある「犯罪への傾向」を周囲に向って発し、それが「犯罪」にぶつかって反響してくるものを聞きながら、自分自身の位置を確かめているのである。
生活者にとっての犯罪は、そのようなものとしてある、と私は考えている。


別役実別役実の犯罪症候群 (1981年)』(三省堂、1981年)