12/23(火)

 クリスマスシーズンも本番で、職場も超繁忙期だが、私自身はお休みである。申し訳ない。
 ヨメさんが「コドモの肌着や靴下がない」と言うので買物に出かける。西松屋はクリスマスとあんまり関係がないようですいていた。そのあとしばらく歩いたところにあるトイザらスへ。こちらは当然のように混乱の極みであり、お客さんも店員さんも殺気立っている。
 私はかねがねメイにはきせかえ人形が似合うだろうと思っていたのだけれど、本人はそういうおもちゃの存在自体を知らないようで、クリスマスなどに「『スティッチのいいことカウンター』がほしい」なんぞと言っているので、(そんなもの買ったってすぐに飽きてしまうにきまっているので)この機会に実物のリカちゃんを見せてみたのであった。案の定かわいらしいお人形さんやら色とりどりの服がずらりと並んでいるのにメイの目はくぎ付けになっていた。本人にクリスマスプレゼントはこれでよいか確認すると可であるとのことなので、「ではサンタさんにお願いをしなさい」と申し付けて、何も買わずに店を出た。
 人はここでいちいち本人の確認をとらずとも、サプライズなプレゼントとしていきなり贈ってしまえば良いのに、何故このような迂遠なことをするのかと疑問に思うかもしれない。しかし私は、本人の事前の了解を得ないプレゼントを強制的に贈りつけるような行為が、あまり好きではないのである。該当の品物が万が一相手の気に添わないものであった場合の対応が困難であるというせいもあるし、またとくに親子という非対称の関係では「親がよかれと思って子のために何事かを為す」というのは、長期的に弊害のほうが大きくなるのではないかという懸念を拭いきれないせいもある(後者の懸念はあるていど個人的な経験に由来するものでもある)。
 というわけで、プレゼントにかぎらずうちの家庭生活はおおむねこのような方針にのっとって運営されており、いまのところあるていどコドモの主体性を尊重した「民主的な」家庭(あはは)が実現できているという自負もあるのだけれど、さらにいまいちど反省的になってみると、このようないっけん民主的な建前がかえって抑圧的な空気を醸成することになっているかもしれないという気もするのである。いや、たぶんそうなっているのだろう。とはいえいまの自分にできるのは、そのことに自覚的であろうとすることだけなのではないかともおもうのだ…なんてことを考えながら「トイザらス」を出たのであった。
 しかしこれはまたなんと大仰な文体であることか!