エルサレム賞のニュースをきいてつらつらと

asahi.com(朝日新聞社):村上春樹さん、エルサレム賞記念講演でガザ攻撃を批判 - 文化



 うーむ。予想がはずれてしまった。
 個人的には、手放しで誉めるほどでもない内容だったような気が。スーザン・ソンタグのスピーチとはだいぶ意味が異なるんじゃないかしら。それよりも、このタイミングでこういうふうに話題になったということで、ノーベル賞にぐっと近づいたんでないかとブンガクの素人は(ちょっと意地悪ですが)思う。
 大江健三郎ノーベル賞をもらってすぐのころ、核実験に抗議してフランスで開かれるシンポジウムを欠席したことがあって、それに対して一部から(たしか浅田彰とかだったとおもう)「欠席するよりむしろその場で核実験に対する抗議の意を表明したほうがよいのではないか」という意見が出ていたのを覚えている。私はなるほどなあと思ったものであった。その伝でいえば、今回の村上春樹はまさにそのように行動したわけなのでエライ、ということになるのかもしれないけれど、どうもそういう感じがしないんだよな。
 まあこれから発表されるであろう講演の全文をみて、また考えることにする。



 鰤先生をはじめとして、村上春樹ブックガイドがいくつか出ているけれど、私は、こと長篇にかぎっていえば、発表順に読むのがいちばんいいような気がする。とくに初期三部作は、順に読まないと『羊』の最後で泣けないんじゃないかしら(いやまあ無理して泣く必要ないですけど)。



 ところで、今回の件でどこかで大江の文化勲章拒否について言及して、「あれは自分の商品価値を高めるための、とてもいやらしいたくらみだ」とか言っていた人がいたのだけれど、まあ本人じゃないからほんとのところはわかりませんが、戦争中少国民軍国少年として育てられそのあと戦後民主主義者として作家としてのキャリアを積んできた人間としては、天皇の名の下に授けられる賞をもらうわけにはいかんというのはわりと納得できる理屈なんじゃないかしらと思う。また「ノーベル賞文化勲章も権威であることには変わりないじゃないか」という批判もよく聞くけど、作家本人としてはノーベル賞の権威がどうこうというより、自分が世界文学の流れのなかでトマス・マンやフォークナーやカミュ(や、あとサルトル)なんかと並べてもらえる(ヘンな言い方だけど)ということの方が単純にうれしかったのではないかなあと、これは受賞当時も思ったことであった。