芸術か、冗談か、犯罪か

広島の空にピカッの文字 現代美術の素材、不快感も www.47news.jp
「ピカッ」で現代美術館陳謝 - 中国新聞 地域ニュース www.chugoku-np.co.jp
広島上空に「ピカッ」の芸術家集団の展示会中止 - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com
webDICE - 骰子の眼 - 広島「ピカッ」はダメでも「黒い花火」はOK www.webdice.jp
「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」 www.mujin-to.com
「ピカッ」騒動のChim↑Pomが問題となった映像作品を展示、検証書籍も刊行 -art-designニュース:CINRA.NET www.cinra.net


 ちょっと前に出た「クイック・ジャパン」にこの事件?の記事が載っていたのを読んで、「ああこの件に関しては自分なりにちゃんと考えをまとめておくべきであったなあ」と思ったものであった。以下、まとまってないんですけど。


Chim↑Pomという集団は知らなかったし、紹介されていた彼らの活動をみてもあんまり興味はひかれない。


この作品のもともとの構想は「空を光らせる」ことだったそうで、それと「ピカッ」という文字を書くのとはだいぶ隔たりがあるように思う。第一カタカナで「ピカッ」だと、日本語のわかる人にしか伝わらんではないか。


「クイック・ジャパン」の記事には、「ピカッ」の文字が書かれたその瞬間をたまたま目撃した人の新聞の投書が再録されていて、このような体験こそ、この作品のもっとも理想的な受容のしかただったのではないかと思う。


なんにんかの人が「作品として判断しなければならない」みたいなふうに言っているのだけれど、作品の芸術性と道徳性は原理的に関係がないから、たとえ芸術作品として優れていようといまいと、不道徳なものが許せないのであれば堂々と糾弾するべきだろうし、今回広島市民はまさにそのように行動したのだ。


こういう話のときいつも思い出すのは、
「飢えて死ぬ子の前で文学は有効か?」
というサルトルの有名な科白にたいして、
「文学は餓え死にする子どもの役には立たないが、餓え死にする子どもは文学の役に立つ」
と誰だったかが言った、という話。ひどいっちゃひどいけど、それでこそだよなあとも思う。