「無垢の心と誘惑の影」

突然ですが。

大学3年になった春、所属していた学内の劇団の1コ下の後輩が「台本を書いたので演出をやってほしい」と言ってきた。



そのサークルでは(というかだいたいどこの学生劇団でもそうだと思うけど)学年が下のうちは下っ端・使い走りが主で、上級生になってやっと作・演出・舞台監督といった主要な役目にたずさわることができる、というのが慣わしだった。だから新2年生が自分の書いた台本を上演しようとするのはまだちょっと早いかなという感じがあって、本人もある程度そう感じていたのと「演出までやって責任を背負い込むのはしんどいし」という理由でおハチがこっちにまわってきたのだった。彼は「○○さん(私)いっぺん演出やってみたいって言ってたんでしょ」というのだが、私はそんなこと言ったおぼえはないので、多分ほかの誰かとまちがえたんだろうと思う。私はといえば、それまでそこでは端役の役者・大道具・照明オペレーターなどなんでも屋みたいなことをやっていて、だったら演出もやってみたっていいなあせっかくだしと考えたのだった。



引受けることにした私は、作者と主役に内定していた女優(彼女は私と同学年だった)と3人で最初の打ち合わせをした。あとでわかったことだけど、作者と主役は当時つきあっていてこの作品も作者が彼女のために書いたものだったのである。ハハハ(乾いた笑い)。それはともかく私が主張したのは、通常ここでは本公演として春と秋に興行を打つのが定例になっているけれど今回の公演はそもそもの立ち上がりがイレギュラーなので、臨時・特別公演として規模を小さくしてやろうよということだった。すなわち、劇団員の全員が参加するのでなく有志を募るということ、本公演は通常月曜から土曜の1周間にわたって行われるのに対して初日を水曜にするということ、そして倹約を旨とし制作費(公演のためにメンバーが一人ずつ出すお金)をちょっとお安くするということ、などをもって特別と称したわけである。ほんとは「アトリエ公演」なんて言えればカッコよかったのだけど、公演場所は普段の稽古場兼劇場(大学構内にある掘立小屋)なのでアトリエもへったくれもなかったのだ。



作品の内容はというと、作者が女優のために書いたというだけあってロマンチックな文学青年の若書き、主役はそりゃさぞかし気持ちよかろうという代物だった。とはいっても別にまわりに迷惑がかかるわけでもなし、「特別公演」の気楽さもあってみなそれぞれ自分のやりたいことができてまあ幸せだったように思う。私もまた、台本の意図を180度ひっくり返すようなオープニングシーンを勝手にくっつけようとして作者とモメたりしつつ(このシーンは大幅に修正することになった)、それまでぼんやり考えていたことを実際に試してみることができたのは楽しかった。具体的にいうと客入れから幕開けまでの流れやら、人形振り(パントマイム)を取り入れることやら、チラシに芸名を使うことやら(当時の座長の方針でそれまでの公演では本名で活動していたのだ)そういうことである。そのなかにはその後劇団のスタンダードになるものもあったりして、それは素直にうれしかった。



とくにカーテンコールには凝ってみた。以前の作品ではわりとここがおざなりというか、劇が終わったあとは役者が出て行って挨拶さえすればいいんでしょという雰囲気だったのだけれど、私は本編の出来がイマイチでも、ここをかっこよく締めることができれば全体の印象も3割増し位になるんじゃないかと考えて、当時ハマっていた夢の遊眠社の舞台など参考にしつつ工夫をしたのである。すなわち、

劇クライマックス。主役男女(イイもん)vsその他大勢(ワルモン)の乱闘。音楽。
なんだかんだあって乱闘終わる(どっちが勝ったのかは曖昧)。照明かわり、静かになった舞台中央に主役女、中央奥(すこし高くなっている)に主役男うかびあがる。
ふたり「乾杯!」(これが最後の科白)。音楽高まり、暗転。
明転。舞台上に役者が整列して頭を下げている。音楽は続いたまま。役者顔を上げ、一呼吸おいてまたお辞儀をする。暗転。
客電が灯り、出入口が開く。音楽が流れるなか客出し。

こういうふうに字で書くと何がどういいのかよくわからないかもしれないけど。土曜の千秋楽のみ役者紹介をさせてもらったのだけど、無言のカーテンコールというのはよいものだ。そしてその時の、ヤマ場から終演に使ったのがこのウィリアム・アッカーマンの"The Impending Death of Virgin Spirit"という曲である。ああ美しい。今から30年以上前の、連休の次の週だったからちょうど今ごろのお話である。