「新しい聖マルクス書店」より

 けれども聖マルクス書店の一番の魅力は、何といってもそこで見つけることのできる新刊書のすごさだった。およそその月にアメリカで出版されたうちで最も優れた文学書、哲学書が、文字通り猫の額ほどの空間にびっしり並べられ、積みあげられている。本屋の棚が魚屋の店先に似ていると感じられるのはこんなときである。マンハッタンの魚屋の水準に失望していた私は、この書店の店頭に飾られた書物のイキのよさに驚嘆した。そこにはどこの書店でも見かけない類の新刊書が堂々と平積みにされているのだ。ここさえ見張っておけばだいじょうぶだな、とわたしはおもった。
 ピーター・セラーズが一九二三年来一度も再演されたことがないというロシア未来派フレーブニコフの戯曲『ザンゲジ』を演出すると、芝居がハネたあとのこの書店にはちゃんとフレーブニコフの英訳選集一巻本が積みあげられていた。八六年の春、ブルック・シールズが舞台でデュラスの『エデン、シネマ』を演じたとき(酷評!)には、どことなくシールズっぽい女の絵を表紙にあしらったデュラスのペーパーバックスが半年ほど制覇したことがあったが、翌年はパリ在のチェコ人亡命作家ミラン・クンデラにとって代わり、ニーチェ永劫回帰への長々とした独白から始まる『存在の耐えられない軽さ』がたちまち店のベストセラーに躍り出た。続いてクンデラの『小説の理論』の英訳が刊行され、次々と彼の作品が並んだ。ハーヴァードでポスト構造主義を論じているバーバラ・ジョンソンがフロイトの『モーゼと一神教』とゾラ・ニール・ハーストンの『山の人モーゼ』を比較する講演をコロンビア大学で行った。モーゼがユダヤ人ではないと論じた書物が同じ三〇年代に代に問われたことの文化史的意味を、精神分析を踏まえながら分析し、人種論への神話へと及ぶ内容だった。この講演の直後には、聖マルクス書店にはこの黒人女性作家のこの小説がわざわざ在庫から引っ張り出されて店頭を飾った。本の配置だけを見ても、ニューヨークの知的事件に応じてつねにヴィヴィッドな変化が感じられ、池の水面のようにその移り変わりを眺めていると、なにごとかを知ることができた。
……
 私はいつまでもこの書店のことを幸福のうちに憶えているだろう。もしわたしにもヘミングウェイのいう「移動祝祭日」があったとすれば、それははじめてボウルズとサルマン・ラシュディを買ったこの本屋のまわりを彷徨していた時期だったと、後に回想することになるだろう。


四方田犬彦ストレンジャー・ザン・ニューヨーク朝日新聞社(強調は引用者)