「法の正当性」あるいは私はいつNHKをみとめたか?

法の正当性に対する素朴な疑問
 まあ一応20年余分に生きている分、私も元増田氏ほど初心なことを考えているわけではない。「公共サービスを受けるといった覚えはない」とか言って税金を払うのを拒否していれば、そのうち裁判所のカミをもったパトカーが来てややこしいことになることくらい知っているのだ。パトカーで話が終わらなければキドー隊が、それでも終わらなければジエー隊やべー軍が出てくるのかも、という想像力すら持ち合わせている。なんだか『パトレイバー2』みたいな話だけれど、法律の強制力というのはそういう具体的な「力」を背景にしてるんでしょう? ちがう?
 それとは別に私がいまだに納得できないでいるのはズバリ、NHKの受信料についてである。法律によれば「TVを買うと自動的にNHKと契約を結んだことになり」、付則によって「契約を結んだ者は受信料を払わなければならない」ということらしいのだけれど、んーな法律こっちは認めた覚えはないしTVを買うときに説明を聞いたこともない。第一この法律に罰則がないということは、NHKのヒトは本気で受信料を集める気がないということであろう。そんなもん払ってたまるか! とつねづね考えているのである。
 これはたしか本多勝一の『NHK受信料拒否の論理 (朝日文庫)』に出ていた理屈だけれど、毎日頼みもしないのに勝手に新聞か雑誌が配られていたとして、1か月後に「いままでの新聞(雑誌)代を払え」と言われてすんなり払ってしまう人はいないだろう。活字媒体で通らない理屈が電波だとなぜ通ってしまうのか。
 そもそもNHKができるときに、「この放送局はかくかくしかじかの理念の下に設立された局であるから、それに納得しないのであれば意見を言っていただきたい」みたいなお触れがあってしかるべきだと思うのだが、そういうことはあったのだろうか? あるいはまたNHKが、イギリスのBBCみたいにはっきりと税金で運営する放送局であるとわりきった存在だったなら、こっちも「税金だったらしょうがねえなあ」と諦めもつくのである。
 そこんところを「受信料」などと民主的なふうを装って、「支払っていただけるよう説得を続ける」みたいな言い方をしたりしているところが、かえって根拠の曖昧さを示してしまっているようにしか見えないのだ。
 というわけで私はずーっと払ってないのだった(あら言っちゃった)。私が不在のときにヨメさんが怖くなって払ってしまったことが1,2回あったらしいけれど、そのあとに集金の方が来られたときは私がきちんと「あ、間に合ってますので」とか「はい、大丈夫です」というふうにちゃんとした議論にならないように返事をして帰っていただいているのである。
 これは宅配の新聞もおなじだけれど、作るヒトの組織と、売ったりお金を集めるヒトの組織が分かれている、というのも狡猾でいやらしいしくみだと思う。新聞については「インテリが作ってヤクザが売る」という言葉もあるが、NHKの集金も本体の職員が集めに来るのでなければ、受信料の大切な使い方について真剣に考えることなんかしないんじゃないだろうか。というわけで、集金のおじさんと言い争いをするつもりはないのです。
 話がだいぶそれてしまったかも。ようするに自分が生まれる前につくられた、理不尽でありなおかつ罰則をつける覚悟もない法律を守る気にはなれないよということ。でした。