長谷川摂子「「ウソ」「マジ」考」より

「ことば・ことば・ことば 16」
……さて、このことは裏返しに考えなくてはならないと思う。言葉の裏返しを考える上でいつも思い出すのは五味太郎の『あそぼうよ』(偕成社)というごく幼い子向きの絵本である。
 登場するのはことりとおじさん風のきりんだけ。ことりが「あそぼうよ」というと、きりんが「あそばない」と答える。毎ページ、このくりかえし。しかし、絵を見るとこのきりんおじさんはなかなかふざけんぼで、首をくるくるまわしたり、かくれんぼしたり、あげくのはてはことりを背中に乗せて泳いだり、サービス満点の遊び相手なのだ。しかし口にする言葉は徹頭徹尾「あそばない」。最後にことりが「あした また あそぼうよ」とうれしそうに飛び去るときも、きりんおじさんはとっぽい顔で「あした また あそばない」とこたえる。
 この絵本、まじめな保育園幼稚園の先生方には評判はよろしくなかったらしい。どこかの園長先生から「せめて最後だけはあそんでほしかった」という抗議の声が寄せられたという話を聞いて笑ってしまった。が、このやり取りの面白さを大人が理解して楽しく読めば、子どもたちはてきめんに喜ぶ。子どもたちは繰り返しをすぐ覚え、きりんおじさんになって、わたしが「あそぼうよ」と呼びかけると、みんなで声をそろえて「あそばなーい」と叫び、くすくす笑うのである。意味の上で反対のことを言っても相手と通じ合うというコミュニケーション体験は、この相手ならばこそ、という濃厚な関係を互いに意識させる。だから、くすぐったい。子どもたちはきりんおじさんになって、言葉の文字通りの意味を超えて相手に触れるのである。そう、ここでは言葉は相手に触れる道具になっている。そのためには文字通りの意味が過激であるほうが触れるという感覚を強くする。言われた方は、はっと胸を突かれ、瞬間、立ち上がって、相手の意図を知って笑う。こんな触れ合いが成り立つためにはなんといってもお互いのゆるぎない信頼関係が前提になるではないか。……


「未来」2008年3月号no.498(未来社)より転載

あそぼうよ (五味太郎の絵本)

あそぼうよ (五味太郎の絵本)