twitterが合わない、ということ。

先週体調がすぐれず、思い当たるところがあったので病院に行ってみると案の定インフルエンザに当選していたのであった。
「やっぱり仕事に行っちゃダメですかね?」
「まあ今はそれが社会的なルールですからねー」
というわけで、いきなり3連休になってしまった。


いきなり休みをもらっても特にやることもなく、過去のはてブの棚卸しみたいな作業をだらだらしていた。こういう機会に以前自分のしゃべったことなどながめてみると、あらためて自分は「人がモノを言うときの倫理」とでもいうようなものにつよい関心があるのだなーと感じる。このことについてはそのうち一度きちんとまとめておかなくてはならないと思う。


実は(というのも変だけど)去年の元日にtwitterのアカウントをとったのだけれど(同じ日にはじめた有名なヒトがいたなー)、あんまりつぶやいてないし他の人のつぶやきも見てない。なんだかいろんな人がいろんなコトをおもいおもいにしゃべっているので話の流れが追えないのだ。興味のある話題を見つけると、私はその話のソモソモのところから遡って読みたくなるのだけれど、それをやっていると話の速さについていけないし、仕様だか知らないが古いつぶやきは時間がたつと見られなくなっちゃうみたいなのがどうも性にあわない。


さらに、私は実生活でもネットでも、知らない人にいきなり話しかけるという習慣をもたないので、「誰とでも気軽につながれる」というtwitterのいちばんのウリというか楽しみ方を味わえないのであった。


というわけで今ではtwitterはほとんどtogetter経由でしか見てなかったりする。自分の行動や思考をダダ漏れにしつつプライバシーをコントロールするという、twitterの要請する行動様式にはたいへん興味があるのですけれども。