『グーグーだって猫である』

木曜日の昼にTVでやっていた映画『グーグーだって猫である』見る。2008年、監督は犬童一心。去年からネコを飼っているので、ネコの出てくる映画やドラマには五月蝿いのである。以下とりとめのない感想。


・原作のグーグーと同様、映画のネコも胴体に目玉のようなうずまき柄があって、こういう柄ってよくあるのかそれとも一所懸命探したんだろうか。


アナログ(笑)


・グーグーが公園を散歩するのをえんえん追いかける場面がよかったです。ていうかどうやって撮ったんだろうか。すごい。


・ネコの出てくる場面にくらべて、人間側のドラマのほうはちょっとピンとこなかった。加瀬亮は『それでもボクはやってない』のときは自然な演技が巧いなあと思ったのだけれど、この映画ではなんだかただの棒読みにしかみえない。上野樹里が女子高生を誘って入院中の小泉今日子の応援するところもよくわからん。小泉今日子をつけ回して写真を撮るストーカーふうの男(というか帽子・サングラス・マスク・カメラというストーカーの記号を身に纏った男というべきか)は結局ストーリーにどう絡んだのであろうか(オリジナルで116分の映画が90分弱にカットされて放映されているので、よくわからないのだ)。十把ひとからげにするわけではないけど、この手の「新感覚日本映画」って私苦手だわあ。


・角川のエライさんのカメオ出演はみっともない。楳図かずおも出るのはワンシーンで十分だと思う(でなければちゃんとストーリーに絡む役をやってもらうとか)。goo映画のキャストのページに槇村さとる枡野浩一の名前があったけど、どこに出ていたんだろう?


・少女時代の主人公がマンガの道具を買う場面、文房具屋のおじさんの科白が金沢だか富山弁に聞こえるんだけど何処という設定なのであろうか。大島弓子は栃木県うまれらしいけど。