小説家のつく嘘について

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について。


回転木馬のデッド・ヒート』は出たときに読んで面白かったのだけれど、私もこの本の前書きの「ここに収録した話は全部事実」という記述にたいへん驚いた口であり、世の中には不思議なことがあるものだと思ったものだった。とくに「嘔吐1979」というエピソードはほとんどXファイル並の超常現象としか考えられないのだが、それを怖くなく書けるというのはさすがに村上春樹というところかもしれない。そしてそれ以外はそれぞれ<奇妙ではあるけれど全くありえなくもない>というような話なので、私は村上の「全部事実」という前書きを無邪気に信じ込んでいたのである。


ところがのちに『村上春樹全作品 1979?1989〈5〉 短篇集〈2〉』という本にこの連作が収録されたときの作者による解題を読んでみると、なんと「あれウソ」などと書いてあり二度びっくりであった。つまりこの本は前書き込みでまるごと創作なのである。たしかによく考えてみれば「短篇集の前書きはホントのことしか書いちゃダメ」なんていう法はないのであって、というか小説家の書いたものを何の疑いもなく信じてしまうほうがどうかしていると言えば言えなくもない。


とはいえ私はその時「村上春樹ってこういうことをする人なんだ」と思い、これを教訓として以後彼の書くものを無条件に信じることはしないようになった。それはノンフィクションと称する『アンダーグラウンド (講談社文庫)』とか、エッセイ集と称する『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか (新潮文庫)』みたいな本にかんしても同様である。それらが「地下鉄サリン事件の被害者へのインタヴュー集という体裁の小説」だったり「身辺雑記風の小説」だったりしない、という保証はどこにもないのだから。もちろんこれは作品の評価とは関係ないのであって、ようするに面白ければよいのである。


ところでこの『回転木馬のデッド・ヒート』の各挿話は講談社の雑誌「インポケット」に「街の眺め」という題で連載されていたのだけど、その連載のなかの「BMWの窓ガラスの形をした純粋な意味での消耗についての考察」という一篇が、本にまとまるときに外されてしまったという経緯がある。この話は(たしか)人から聞いた話でなく本人の体験として書かれてあって、しかもその主人公が怒りまくっているという異色のエピソードであった。推察するにこの話だけは作者自身に実際に似たようなことがあって、怒りにまかせて書いてしまったので、ほかの話から浮いてしまったのじゃないかなーと思う。上記の『村上春樹全作品』の刊行予定が発表されたとき単行本未収録としてこのタイトルも載っていたのだけれど、案の定というべきか実際に収録されることはなかった。読みたかったら「インポケット」のバックナンバー*1を探さなきゃならないのではないかしら。もう一度読みたいなあ。

*1:1984年8月号です