図書館で借りた本2冊

困ってるひと

困ってるひと

2年くらい前すごく売れていた本。


いろいろな書評やらアマゾンのレビューやらブログの感想やらをみると、一様に「すごい」ということばが使われているがまあ当然である。わたしも「すごい」と思いました。


ただこの本がほかの難病モノと一線を画しているのは、著者の筆致の異様な明るさ、ユーモアである。たまに、自分の経験をへらへら笑いながらしゃべっている友人の話をよーく聞いてみると「お前もしかしたらそれ大事故じゃないの?」とびっくりする、みたいなことがあったりするけど、それのエクストリームなやつ(著者風の表現)という感じ。たとえば、「プレドニン」というステロイド薬をのむくだり。

 まず、飲み始めた直後から「ドッキドキ」が止まらない。
 交感神経が暴走して、心拍数、血圧の実測値は異常がないのに、もう、それはひどい動悸と高揚感がするのだ。なんと表現すればいいのだろう。
「初恋の人に告白する五秒前」の状態が、二十四時間絶え間なく、続く感じ?

「病気のせいで発生する脳内物質が難病にもかかわらず幸福感をもたらす」というのがモチーフのグレッグ・イーガンの短篇小説「しあわせの理由」を読んだことがあるけれど、現実にそんな現象があるのは知らなかった。しかしはっきり言ってこんなの地獄じゃないかと思うのだけれど。


そういった著者の語り口のおかげで、読者は「この病気がとてもたいへんであること」や「病気をかかえて役所や不動産屋で手続きをしたりすることがさらにたいへんであること」が素直に納得できるようになっている。ふつうこんな話を書くと、たいていの読者は(べつになにも悪くないのに)申し訳なくなって「ごめんなさい」と謝りたくなるものなんじゃないかなあ。著者の意図はどうかわからないけれど、そういう効用はたしかにあると思います。


ただそのようにエラソーでない態度のせいで、いろいろさがしていると「中二病」だの「学歴廚」だのという書評が見つかったりして、世の中にはいろんな人がいるなあとしみじみ感じ入ったものでした(「学歴廚」ってなんだ?)。


この本自体は著者が退院して一人暮らしを始めるところで終わっているので、ぜひはやく続編を出してほしいです。


ファッションフード、あります。: はやりの食べ物クロニクル1970-2010

ファッションフード、あります。: はやりの食べ物クロニクル1970-2010

紀伊國屋書店(出版社のほう)のPR誌「scripta」で連載されていたのをまとめたもの。著者は編集者で中公の「シェフ・シリーズ」というムックのシリーズの編集長などをされていた方。むかしちゃんとしたスパゲッテイを作ってみたくて「イタリア料理」のやつを買ったことがあったなあ(これだ→asin:B000J7MKM0)。本格的すぎて歯が立たなかった。


話は江戸時代から語り起こされるのだけど、何といってもおもしろくなるのは、80年代をえがく第2部「拡大するファッションフード」から。それは、著者が料理書編集の現場に入って直接経験したことがらが語られるようになること、好景気でちゃらちゃらした世の中に「これこそファッションフード」と呼ぶべきものがどかどか出てくること、あとそれらをわたし自身がよーく覚えてるからなんだろう。カフェバーとかは怖くて行けなかったけど。

私も一九八六年に『エスニック料理−−東南アジアの味』の編集を担当した。…(中略)…内容はタイ、ベトナムカンボジアインドネシア、フィリピン料理から計七九品。辛いものは得意だったが、一人前に大さじ山盛り二杯の赤唐辛子粉が投入されたカンボジアビーフンでは食後三〇分で胃痛に襲われ、昆虫のタガメを生のまますりつぶして作るソース、豚肉を加熱せずに発酵させた酸っぱい腸詰めでは試食後に材料を知らされ、しばらく寄生虫の恐怖にさいなまれるなど、文字通りたまらなく刺激的な撮影だった。


「第2部 拡大するファッションフード−−1980年代」P196

ははは。すごい。


「シェフ・シリーズ」と同時期に文春が「くりま」という雑誌を出していて(わたしはこっちは見たことないんだけど、やっぱり本格志向の食特集が売りだったのだそう)、その編集長だった内藤厚というひとがのちに文春文庫の「B級グルメ」のシリーズをヒットさせたのだそうだ。このひともすごい。


80年代以前の話では、「アンアン」「ノンノ」のミーハー主義が料理や食べることをそれまでの堅苦しさから解放したのにたいし、「クロワッサン」「MORE」をはじめとする「新女性誌」(この2誌以外はすでに廃刊)や『聡明な女は料理がうまい』(桐島洋子)の主張する家庭料理がほとんど反動的であったことなど、なにやら示唆的であるなあと思った。

ウーマン・リブを自認した上で、「料理という人間生活の基本能力を手放したウーマン・リブなど、とても危なっかしくて見ていられない」、「すぐれた女は必ずすぐれた料理人である(中略)それはすなわち、料理のへたな女はダメな女でもあるということ」、「料理というのは、個性や才能がメリメリと生きる創造的な仕事」と説き、マルセイユで食べるよりもっと「感激的」なカリブ海風ブイヤベースやら、ウーマン・リブの象徴であるスペアリブ(創造主はアダムのあばら骨でエバをおつくりあそばされた、だからだそう)のバーベキューやらの、「所帯じみた料理ではなく、アッと驚く大ごちそう」をおすすめしてくれる。


「第1部 加速するファッションフード−−1970年代」P157-158

うーん。これはダメなフェミニズムの典型ではないかしら。


というわけでこちらもたいへん面白く読んだのですが、この本にもやっぱり「文章がタウン誌のコラム並で資料として使えない」なんていうレビューをつけている人がいたりする。読者って怖いなあ。


あ、ネットでの感想やレビューで「装丁がだめ」としているものが結構あるのだけれどそれには禿同である(AD祖父江慎、デザイン佐藤亜沙美)。年代ごとに字体を変えたり、小口がわのマージンがほとんどなかったり、キーワードっぽいコトバだけでかい活字をつかったり、そういう意匠の凝り方がたいへん余計なお世話である。雑誌連載時のほうがよほど読みやすかったよ。