『ハイレッド・センター:直接行動の軌跡展』を見る


招待券をもらったので、松濤美術館の「ハイレッド・センター:直接行動の軌跡展」を見てきた。


ハイレッド・センターとその前史としての読売アンデパンダンについては、赤瀬川原平の2冊の本『東京ミキサー計画』『反芸術アンパン』を通して知っていて、とくに『東京ミキサー計画』には学生時代たいへん憧れたものであった。それからしばらくして西武美術館の中西夏之展で「コンパクト・オブジェ」を見る機会があったものの、それ以外のハイレッド・センターの作品の実物にはお目にかかることができなかった。


それを今回ようやく見ることができたわけですが、ただ実物といったってこの場合それぞれの「作品」の記録写真やら案内状やら同人誌の展示が中心なわけで、作品そのものというよりその痕跡と言うべきもののほうが多いのである。美術展というよりは演劇博物館みたいなもの。観客はそういう作品の痕跡を見ながら「こーゆー感じなのかなー」と類推するしかない。


もっとも、私など本を読んですっかりわかった気になっていたけれど、赤瀬川の巨大な千円札の模写(未完成)を見て、ただ千円札を模写するというアイディアを思いつくこととそれを実際にやってしまうことの隔たりを目の当たりにしたのであった。いやもうとにかく細かくて大変そうで、正確な座標を得るために鉛筆で書かれたグリッドの下書きが残っていたり、手作業で描かれたお札の模様の細かいところがよーく見ると結構震えていたりしていてとても生々しい。決して「紙幣を模写することによって現代社会のある種の側面を描ききってみました(ドヤ)」で済むようなものではなくて、それはやっぱり実物を見ないと(文章や写真だけでは)わからないものなのだ。


同様に赤瀬川の「水滴のマリア」のレプリカもあって、これは是非ホンモノが見たかった(どこにあるんだろう?)。こっちもやはりやたら細かい水滴の描き込みが圧倒的で、赤瀬川という人はこういう作業が好きなんだろうなあと思った。


他に印象に残ったのは(ハイレッド・センターの作品ではないが)高松次郎の影の連作で、私これ知らなかったのだけどとても不思議で美しい作品だった。壁?に子ども?の影がちょっとぶれたみたいに二重にうつっている作品など、原爆で建物に焼き付いてしまった男の影を連想してしまったりして、綺麗だけど不吉な感じもするという。


あるいは「美術手帖」の付録だというものすごく細かい書き込みのピンナップやら、「フィルム・アンデパンダン」と名づけられた映像作品やらには、当時の社会状況を彷彿とさせる言葉やイメージが必ずまぎれこんでいて、ああ確かに政治を切ると血が出る時代だったのだなあと思わせられた。


そんなこんなで私はすっかり「観客」になってしまい、美術館を出たあともしばらくその感じが残っていて、道に落ちている紙クズを見ても「おっ芸術か?」なんて思ってしまう有様であった。まあそんな気分も5分もすれば消えてしまったのだけど、そういうフワフワした感じもなんだかずいぶん久しぶりだったのでした。


(美術館の中2階? からこっそり撮った写真。千円札の巨大な模写やら梱包など。端の方にちらっと高松次郎の紐のオブジェ。→http://f.hatena.ne.jp/takanofumio/20140403101317


『反芸術アンパン』のなかの、赤瀬川が初めて読売アンデパンダンに接するときの話が美しい。

……いちばん驚いたのは机の絵の話だった。キャンバス代りのベニヤ板のパネルに荒っぽく机の絵が描いてあって、その絵の机の真ん中に穴が開けられ、そこにじっさいの花が活けられて、その花が画面からヒューッと突き出しているのだという。
「ホンモノの花ビラだよ。前を通るとヒラヒラ風で揺れるんだもの」
と、見てきた友人は話してくれた。……


「序章 熱と熱の物々交換」より

反芸術アンパン (ちくま文庫)

反芸術アンパン (ちくま文庫)