署名について

 以前くどくどと書いてみたこともあるのだけれど、もう一度かいつまんで簡単に書いておこうと思う。
 よく「責任のある発言をするために本名を公開しろ」みたいな言い方をする人がいるけれど、物書きとか芸能人とかもともと有名だった人がブログを始めるのと違って、無名の一般人が本名を明かすメリットなんてほとんどない。
 よく雑誌などに、本名なのかペンネームなのか判然としない署名の記事がのっていることがあるけれど、そういった場合責任の所在がいかにもあやふやにみえて信用がおけない感じがする。反対に、いかにもペンネームだという名前でも、その名の下に長期にわたって一貫した主張がなされていれば、その名前は本名に劣らない信頼を獲得することができるだろう。第一、一見本名ふうの名前が掲げられていても、それがたとえば戸籍名であることの証明はほとんど不可能にちかい(身分証明書のコピーをつけたりしても偽造という可能性は残ってしまう)。つまり、ある文章の責任とか信頼性とかいったものは、署名と本文と読者のあいだに築かれるものであって、本名であるかどうかというのは二次的な情報にすぎないということだ。
 だから僕自身は本名を公開することはしないし、また他人の文章を読む場合でも「本名でないから内容も怪しい」みたいな判断はしないのだが、ただ、未知の書き手の場合、プロフィールを確認したいという欲望はどうしても残る。同じ趣旨の発言でも発言者の属性によって、こちらのうけとめ方が違ってくる場合があるからだ。「私は子どもがきらいだ」なんて、実際に子育て中の母親が言うのと男子中学生が言うのとではまったく意味が違うでしょ? そういう意味で、年齢・性別・職業くらいは、大雑把にでもどこかに書いておいてもらえると助かるのだけれど、実はそういうブログってあんまりない。そのかわり、お気に入りの本や音楽のタイトルがずらっと並べてあったり、変な詩みたいなものが載せてあったりするのだ。*1まあそういうのも書き手の人となりを知る一助になるといえばそうかもしれないけれど、それだけだとやっぱり隔靴掻痒の感が否めません。
 というわけで僕のプロフィールはaboutのページを見てください。

*1:多分そういう方々は、「肩書きでなく発言そのもので判断してほしい」とか思ってるんだろうけど、しゃべっている人の姿かたちが想像できないというのは気持ち悪いものだ。