1980年1月某日の金曜パック

野沢那智(ナチ) えーご機嫌いかがでいらっしゃいますか、野沢那智でございます。おはようございます
白石冬美(チャコ) こんばんは
ナチ 元気ですか
チャコ チャコこと白石冬美です
ナチ そうです
チャコ おはようございますとこんばんはの境目ですけれども
ナチ そうですね
チャコ きょうは本当に幸せな一日で
ナチ おっどうしたの
チャコ ずーっとお昼寝。猫と。7匹も生まれまして
ナチ すごいですねえ、ネコと添い寝?
チャコ 7匹の子猫と……
ナチ ネコと添い寝!
チャコ 一匹死んじゃったのね、未熟児がいて
ナチ あら、あらららら
チャコ でも元気です
ナチ あそう、ネコの子どもたちと
チャコ 先週はコートのことでお騒がせいたしました
ナチ そうそう本当にねえ、先週はコートで……
チャコ そしてきょうまたいま青井さん*1からアネモネの花の……
ナチ すごいね、どうしたんだろうねそれ
チャコ お花をいただいて……
ナチ 青井くんどっからそれもらって……あ!
チャコ ちゃんと買い求めてきてくれたんですよ
ナチ きょうは『審判』*2の初日だな?
チャコ あ、来てますよ、ハガキが
ナチ きょ、あ、昨日だ、昨日初日で
チャコ 《 江守さんの『審判』、27日に観にいきます……
ナチ 27日ですか
チャコ 《 ……どんな舞台が見られるか楽しみです
ナチ  青井くんの翻訳して出版されてる本がやっとね、上演されることになりましたので。文学座のアトリエのほうで。江守さんがやっておりますんでね、観にいってあげてくださいよ
チャコ ひとりでいっぱい喋るやつでしょ?
ナチ ひとりで全部、いっぱいって言うかひとりで全部……
チャコ ひとりで全部訳したんでしょ?
ナチ もう覚えること自体が歴史的だっていう……そりゃそうだよハハハ、翻訳だってひとりでやってんだハハハ
チャコ あの、『コーラスライン』の切符とっていただいてありがとうございました、本当に。あのー、というわけで、とても幸せでございますよ
ナチ で昨日はやっぱり翻訳者として行ったんだろうね、初日ね
チャコ 気持ちいいでしょうねえ
ナチ かっこいいだろうねえ、オレなんか生涯だめだろうね、そういうのできないんだもんね
チャコ あの、そういうときは、蝶ネクタイかなんかして行ったんじゃないかしら
ナチ どういう恰好で行ったと思う?
チャコ 青井くん……
ナチ 青井くん、どういう恰好で行ったと思う?
チャコ あのね、タキシードにね、ピンクの蝶ネクタイ。ハハハ
ナチ うわーっ!
チャコ ハハハ笑ってるハハハ
ナチ 笑ってるよハハハ
チャコ 紫かなハハハ
ナチ それじゃあブロードウェイだまるで。ハハハ、すごいねえ
チャコ 蝶ネクタイの真ん中にね、ダイヤモンドがチカッと
ナチ うわーっ! ハハハ、文学座のアトリエに? ハハハ、それはちょっと……。しかしどういう風に行きましたかねえ
チャコ 本当ねえ
ナチ いや本当に見たかったですけどねえ。きょうはまた行ったのかな、この花束だれかにもらったのかな?
チャコ ちがうわよ、これは私のために……ねえ
ナチ あ、そう、すいませんどうも……
チャコ お年賀です失礼な……
ナチ そんな失礼な……ねえ
チャコ きれいよ。アネモネだいすき
ナチ 青井くんが花束もってるからどうしたのかなあって……ものすごく気になってたんだオレ
チャコ ねえ、やさしいですねえ
ナチ ああそうですか、よござんしたね……
チャコ 今度いつか私のために……
ナチ 『審判』のほうひとつよろしく観にいってあげてください……何ですか
チャコ 私のためにもいつか……あの何かいい……あの、ホンを訳してください。そうもいかないかな、ハハハ
ナチ 何かいいホンを訳して……ああ、いいホンいろいろありますからねえ。こういうのありますよ、こういうのどうですかあなた
チャコ どういうの?
ナチ もっともアレはもう人がやるからだめかな?
チャコ どういうの?
ナチ 『追伸 あなたの猫が死にました』っての。ハハハ
チャコ あ、それやりたいやりたい、ハハハ
ナチ 「あなたの猫が死にました」って。ハハハ
チャコ 本当? ウチのネコを貸します
ナチ こういうのがありますよ……
チャコ ネコ……
ナチ やりますか?
チャコ もうねえ、ネコにも働いてもらわないと、私としては扶養……
ナチ ホァッハッハッ、やだねえ! ハハハ
チャコ 私はいいからネコを出して!
ナチ 三味線屋だねまるで、ハハハ
チャコ ハハハ
ナチ 猫を出してって……ハハハ、売らないでよ!
チャコ おねがいします
ナチ そうですか……
チャコ また、あの、扶養家族がふえて、いよ、そろそろ、あの……イヤな季節になってきたし……
ナチ 一家じゅうではたら……
チャコ 来た? もう、紙……
ナチ 来た来た来た
チャコ 税金のカミ……
ナチ え? 税金のカミ?
チャコ フフフ
ナチ カミねえ、そろそろ来るんでしょうねえ、いやなカミねえ……
チャコ うん……
ナチ 青色申告だ、ナントカ申告だって、ほんとキライよ
チャコ ねーえ……
ナチ ……えー、来てるんだよ!
チャコ  何が?
ナチ  イヤな季節が!
チャコ  フフフ
ナチ  ハハハ、これが久しぶりに手紙が来てるんだよ
チャコ  あ、だれ? 税務署の人から?
ナチ  ぜ、税務署のヒトから……
チャコ  あ、まえ読ん……
ナチ  カンプキンから来てるんだよ!
チャコ  還付金のあの……「橋のところでお会いしましょう」っていう……
ナチ  カンプキンのヒトから来てるんですよ! まずちょっとさっそくご紹介しましょう
チャコ  ホント?
ナチ  ええ、カンプキンさんからちゃんと来てるんですよ
チャコ  カンプキンさん……ハハハ
ナチ  《 拝啓野沢様白石様、久しぶりにお手紙さしあげます。小生最近仕事に追われパックから遠ざかっておりましたが、昨年末に……
チャコ  仕事に追われ、だって
ナチ  そうよ、もういま忙しいときだから
チャコ  そうよねえ……
ナチ  《 ……昨年末に話題賞とやらを頂いた旨を友人から聞き、一言お礼申し上げたくこうしてペンをとった次第でございます 》ほら
チャコ  あなた話題賞だったのよ
ナチ  そうですよ! おめでとうございましたねえ。えー、《 聖橋のカンプキンという名前を覚えてらっしゃいますでしょうかァ? そう、昨年の5月下旬に彗星のごとくあらわれ、ぱっとひと花咲かそうとする前に、さんざんバカにされて消えていった、カンプキン男でございます
チャコ  フッフ……
ナチ  来てるんだよちゃんと
チャコ  ねえ
ナチ  ねえ、《 ところでもう1月も下旬、個人で事業を営んでいる方々には、最もイヤな時期となりました
チャコ  「個人で事業を営んでいる方々」
ナチ  「方々」
チャコ  ガタ! フフフ……
ナチ  ガタ。ガタガタ
チャコ  青井さんもね。ハハハ
ナチ  青井さんも
チャコ  ガタ
ナチ  青井君の翻訳料も、今年はずいぶん、今年はあるだろうから、取られちゃうのね。ええ、還付金ですよ……ねえ、還付がないんだよね……しかし、役者なんかさ、衣裳とかさ、ね? そういうの必要経費になったりするじゃない? 交通費とかね?
チャコ  ええ、ええ
ナチ  オレやチャコは
チャコ  ええ
ナチ  翻訳家なんかは、必要経費、何だろうね?
チャコ  ありますよ。お芝居見るとかね、本をフランスから取り寄せるとかね、フフフ
ナチ  ずいぶん取り寄せてるつもりで、実は取り寄せないで
チャコ  悪いわよ、取り寄せてるわよ
ナチ  ハハハ
チャコ  出かけていったりとか……
ナチ  出かけていったりとか? ハハハ
チャコ  ふふふ、飛行機代……
ナチ  ハハハ、あ、去年出かけていったもんね、青井くんね、あれなんかすごくね、膨大に水増しして……そんなこと言っちゃいけない!
チャコ  ハハハ
ナチ  そんなこと言っちゃいけない! そんなこと言っちゃいけない。苦労してるんだろうねえ……
チャコ  ありますよ。衣裳だって初日のためにドレスを……
ナチ  あ、いやしかし、それは税務署では認めてくれないぜ?
チャコ  あーだって必要だもの
ナチ  必要かねえ
チャコ  うん
ナチ  やっぱり付合いがないと、仕事が続かなくなるから……
チャコ  あたしも、舞台が……
ナチ  初日くらいは行きますから、衣裳代。
チャコ  衣裳つくって。パックだってね、毎週衣裳かえて出てこなくちゃいけない
ナチ  ラジオだから見えないんだから、別に何着ててもいいんだよ
チャコ  いやー、そういうわけにはいかない。イメージが……
ナチ  これはチャコ、衣裳代としては認めてくれないよ?
チャコ  そう?
ナチ  だからね、ラジオ番組あんまりやるとね、衣裳代が認めてもらえなくなんだよ
チャコ  うん……そう……
ナチ  それが困るんだよ
チャコ  でもラジオだって衣裳つけなくっちゃねえ、雰囲気が……「きょうはイブニングドレスで放送してます」っていう……
ナチ  「でもあなたがた役者だから、別に何を着てたって王様の気分やお姫様の気分になれるでしょ」って言われりゃそれっきりじゃない
チャコ  ああ、そうねえ
ナチ  うん。「着るもんで左右されるほどの方じゃありませんでしょう」って……
チャコ  でもあたし左右されちゃうのよね。フフフ
ナチ  ハハハ、そうかね……えー、《 ……いらっしゃる方々には最もイヤな時期となりました
チャコ  はい
ナチ  《 2月16日から3月15日までは、確定申告の受付期間なんです
チャコ  ええ
ナチ  《 そしてそれが終わると、いよいよ還付金の時期となるのであります
チャコ  フフフ
ナチ  ……還付金はうれしいけどさあ……
チャコ  そう
ナチ  そのまえの申告だよ……
チャコ  うん……
ナチ  ……《 そこでまた小生の活躍となるはずだったのですが、小生、還付金担当ではないのです
チャコ  あら! 問題になってどっか他へ?
ナチ  《 いやむしろ、その逆の徴収部門にいるのです
チャコ  イヤなところにいますねあなた
ナチ  そうなんですよ……《 徴収という仕事をご存知ですか?
チャコ  知ってますよ
ナチ  《 お金を返すんじゃなく、納税滞納者からお金をブンドる……
チャコ  フフフ、ブンドるだって
ナチ  《 いや、納めていただくよう指導する係なのです
チャコ  指導するの? あの、「あなたのアレはいくらまだ未払いです、何日までにお払いください」っていう……
ナチ  あれだよ、あれですよ。《 しかし、この徴収という職業についてから、いろんなことを勉強させられました。徴収といえば世間からはあまり好かれない税務という仕事のなかでも、とくに風当たりの強いところです
チャコ  そうでしょうねえ
ナチ  《 まあ、税金を納められない家庭を訪問し、なんとかして納めてもらうようにするという、つまり直接お金が関係してくる仕事ですから、嫌われるのも当然と言えるでしょう
チャコ  ハイ
ナチ  《 必然的に、社会の裏側も目に入ってくるわけです
チャコ  ええ
ナチ  《 とりわけ小生がいま痛切に感じているのは、
チャコ  ハイ
ナチ  《 「長いものには巻かれろ」という言葉の真実性です
チャコ  フフフ……そんなこと感じちゃったの?
ナチ  感じてるんだよ
チャコ  そう……
ナチ  《 これは、長いものの側に立って初めて、その恐ろしさを知りました
チャコ  ははは、長いものの側なの……
ナチ  長いものの側にいる。ね? 巻かれるほう……巻かれるほうじゃなくて、長いものの側にいるから……
チャコ  うん
ナチ  そちらから見て、「恐ろしいなあ長いものって」って思ってるんだよ
チャコ  ヘビのほうなのね
ナチ  ヘビのほうはなんと恐ろしいか思ったわけだよ
チャコ  ふーん。ハイ、あらまおいしそ
ナチ  ハムが来ましたね
チャコ  フフフ、ごちそうさま
ナチ  なんでまたハムが
チャコ  差入れがあったみたい
ナチ  ああ、差入れをしてくだすった……なんかパンにハムが……すごい、サンドイッチが……
チャコ  ハイ
ナチ  あ、まあお手紙よみますがね
チャコ  フフフ
ナチ  《 ……なにしろ小生まだハタチなんスよ
チャコ  ハイ
ナチ  《 そんなガキが、自分の親父より年上の滞納者を相手にして、対等に議論するんですから……
チャコ  ふーん。でも若いヒトほど熱心だって……
ナチ  そ。しつこいんだよ
チャコ  フフフ
ナチ  若いやつほどね、理で……
チャコ  やっぱ燃えてるから
ナチ  燃えてるからねえ
チャコ  そう
ナチ  へんに理屈ばりやがんだよ
チャコ  ウフフ
ナチ  ハハハ。へんに理で押してくるんだよ
チャコ  やっぱ許さないんだ、って……
ナチ  そこに情というものがないんだ
チャコ  うーん
ナチ  理で押しまくるんだよ。よけい意地ンなって払わないねこっちは
チャコ  ……すごいわねまた! フフフ
ナチ  ハハハ。だって取るほうが取るって言うんだから……でも、払わないなんて言っちゃいけないんだよ、放送で……
チャコ  フフフ、そうよ
ナチ  そんなこと言っちゃいけないん……払えないものは、払うよ。いや、払えなくても、いっしょけんめい払う!
チャコ  ナッちゃんの入院費の領収書、私にくれない?
ナチ  そういうね、いじましいことを言うなよ!
チャコ  フフフ……おねがい!
ナチ  自分が病気した……
チャコ  あたし扶養家族がないから……ハハハ
ナチ  ハハハ……オレ……オレだってねえ、保険金もらうのに使っちゃうんだアレは……
チャコ  あ、使っちゃったの?
ナチ  そう!
チャコ  コピーでいいから……ハハハ
ナチ  ハハハ……コピーしようか!
チャコ  あーでも、そうはいかないわね、もう、あの……
ナチ  ……数年まえ忘れもしませんよ、数年まえ。こんなこと言ったら怒られますけど、有吉佐和子さんがね……
チャコ  ええ
ナチ  あんまり本が売れちゃって
チャコ  そうそう、ベストセラーになって
ナチ  もう税金がすごくなっちゃって
チャコ  ええ
ナチ  その頃あたしはすこしおつきあいがあったもんスから
チャコ  ええ
ナチ  あたくしの顔見ては「ねえ野沢さん、あーた、あの、領収書ない? 領収書」って
チャコ  ハハハ
ナチ  盛んに言ってましたね……ほいでオレぁびっくりして「そ、そんな……どれくらいの領収書ですか」「そう百万単位の」ないよそんなもなオレんとこには!
チャコ  ハハハ
ナチ  ハハハ……こんな話もあったけれども……チャコも領収書が必要?
チャコ  いえ、いやいやいらないです、あたしそれほどいらない……
ナチ  大久保病院の……
チャコ  あ! お、大久保病院の……でもちょっとカッコいいじゃない?
ナチ  なんで
チャコ  ナッちゃんの入院費あたしが払ってる、なんて……払ってないけど
ナチ  そんなバカな!
チャコ  払ってないけど!

 これも先日の大掃除で出てきたノートに書いてあったもの。高校時代に聞いていたラジオの深夜放送のなかでも、この「金曜パック」がいちばんのお気に入りで、毎週録音してはくりかえし聞いていたものだった。そのうちある回の冒頭の部分をたわむれにテープ起こしをしてみたのである。このように台本形式にしたものをあらためて読んでみると、普通の会話というものはけっして一直線には行かず、行ったり来たりをくりかえしながらすこしずつ進んで行くものなのだなあということがよくわかる。
 しかしそれにしても、'80年の1月というと共通一次試験が終わって二次試験の準備中ではないか。何をやっているのやら…>自分@高3

*1:翻訳家・演出家の青井陽治

*2:asin:4875745044