東欧見聞録>恐怖のるーまにあ : 03 (text by 大山あゆみ)

(JOHNR)「ジョン万次郎星間漂流記」608 of 786 89/09/23 20:11:11 101 line(s)
from 0681 大山あゆみ
題名(Title): 東欧見聞録>恐怖のるーまにあ : 03
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「チョコレートよ、チョコレートだわっ!」
節電対策で真暗にされた駅にポーランドからの列車が入る。 人が雑巾のようにぼろぼろになった札束を握りしめて走っていく。 目指すはあの明かり。 蛍光灯の下でチョコレートが売られているのだ。
蛾が舞い狂っているのかと思った。 高すぎる窓枠に少年が何人も飛びついてはよじ登る。 紙幣が投げられる。 ポーランドからの天使は微笑んでモノに飢えた人々を見下ろす。 決して急がない。 二分も待てば列車が出るのだから。 何枚のチョコレートを売ろうが天使の給料は変わらないのである、がちょーん。


ルーマニアなる国は、かつてはその地から溢れ出る石油のおかげでかなり豊かな国でありました。 上昇気流に乗った政府は重工業化まっしぐら政策をしき、石油枯渇の囁かれる今もその路線を突っ走っております。 ここから何が生まれるかというと、日本の現代人大山には信じられないモノ不足。 食料がない、衣類がない、明かりを灯せない、車を走らせられない。 物価が高いのではありません、人々が金を持ってないのでもありません。 ただ単にモノがないのです。 何処にも売られていないのです。 想像を絶するとはこれ以外の状態を指すものではないっ。
そんな国を大山は何も知らずに訪れてしまったのでした。 まさかドルを持っている旅行者が飢える訳はないでしょうという甘い考えとともにです。 せめて首都ブカレストや大きな街だけを旅すればよかったのに、田舎を求めてしまった大山。 国境で既に前兆はあったのです。 パスポート・コントロールと称して闇コーヒーを買いにくる警察官、前述のチョコレート騒ぎ、異常に混み合った電車内(これも石油不足のせいで本数を走らせられないから)。 大山はこれをまあ噂通りだわと呑気に考えてしまったのでした。 とにかくハンガリー学生軍団と別れてからの話であります。


カナダ人に貰ったサラミを喰い尽くした大山は、空腹を訴えて田舎街のレストランに赴きました。 おお開いているではないかと席につき、何でもいいから食べるものを下さいとルーマニア語もどきで頼みます。 珍しい日本人観光客に驚きながら、まずウェイトレスが持ってきてくれたのは運がよければ野菜のかけらに出会えるスープとパン。 スープが出るだけましだと思って、そのお湯にパンを浸して平らげます。 この調子ではメインも喰えたものではないだろうなと思って待っていたところ、出てきたのは数字を書いた紙切れ。 がーん、これでおしまいだったのです。 隣の席の人は平らなお皿に入ったものを食べていたぞと指摘すると、彼女はそのお皿を持ってきてくれて、見れば例のお湯に浸されたパンであります。 他にレストランはないかと、訊ねればきっぱりないとおっしゃいます。 じわり、忍び寄る恐怖。
大山は食べ物の絵が描かれた看板を求めて街を彷徨います。 肉屋があってとてつもなく長い行列ができていました。 売られているのは生肉のみ、ハム・ソーセージの影はなし。 キャンプ用品など持たぬ大山がどうやって羊の肩肉を食べられましょうか。 卵屋には売り切れとの張り紙、パン屋は朝しか営業しないらしい。 チーズ・牛乳の類はどこで売られているのか見当もつかない。 あっ、スーパーマーケットがあるっと走り寄ったと同時にシエスタ(長い長い昼休み)、ばばばばばばかやろー。 大山は木になる林檎を盗んではその場を凌ぎ、再開店と同時に飛び込んだスーパーで見たものは、瓶詰めの嵐。 さやいんげん、ピーマン、煮込み杏、ビーツ、胡瓜(考えられないっ)、なぞのペースト類、すべてがホルマリン漬けとしか思えない色に変色していて食べ物に見えない。 そして乾物類。 大山は暗い店内に■然と立ち■■、瓶詰めと一緒にしばしゆらゆらと揺れていたのでした。
外に出てみればアイスクリームを手に歩く人が目につきます。 牛乳がないってのに何故アイスクリームがあるのか、一体何から作られたアイスクリームなのか(緑色だった)、謎は多かったけれどとりあえずこれにて空腹を宥めます。 早くこの村を脱出せねばと大山はあせります。
次の日の早朝に駅に赴いたところ、隣町までの電車は明け方に既に出てしまっていて夕刻にならないと次の電車は出ませんとばかやろ時刻表。 しまったと大山は慌てて走ります、パン屋へ行列しに。 そうしてこの日は林檎とアイスクリームをおかずにパンを■■素敵な食生活を体験したのでした。

いいえ、正直になるとこの日は卵を食べたのです。 思い出したくもない状況下で。 パンと林檎を抱えた大山は例の有名なフレスコ画を見に行くことにしました。 有名といっても、食糧事情が今日のようでは海外から訪れる観光客は少なく、専らルーマニア人で賑わっております。 しかし時には大山のように外国人も足を運ぶし、また人々はかつてこの地が外国人で満たされたことを覚えています。 ぽいんと。 僧院行きのバスを待つ大山は人々の注目の的でした。 東洋人を見たことのある人は殆どいないらしく、子供などは走り寄ってきて顔を覗いていきます。 それでも何か訊ねれば人々は親切で、がなるような声であっちだこっちだと教えてくれ、どこから来たモンゴルかヴェトナムかと好奇心いっぱいでもあったりします。
さて僧院に着いて暫くすると雨が降ってきてしまいました。 仕方がないから帰ろうと引き返すと、向こうからさっきバスで一緒だった女の子が傘を持って迎えにくるではありませんか。 そのうえ彼女は家に寄ってお茶を飲んでいきなさい母さんに会っていきなさいと誘います。 で、大山はついていったのでした。
家は農家らしく、やはり貧しそうでした。 しかしそこはさすが農家で、卵や牛乳があるのです。 大山が貴重な卵をと遠慮するにも構わず、お母さんは目玉焼きを二つ焼いてチーズとパンを添えてくれました。 しかし、これが喰えたものではないっ。 思いっきり塩が振ってある上、古いチーズはとんでもなく塩辛くなっていて、頼りのパンまで何故かしょっぱくて固い。 それで隣で女の子に白身だけの目玉焼きなんぞ食べられた日には、お願いですからお母さん召し上がってくださいの世界。
この態度がまずかったのか知れないけど、二人の顔つきが段々変わってきています。まずにっこり笑ったかと思うと「煙草を持ってるか」。 大山の差し出すルーマニア煙草に「ケントを持っているはずだ」とすごい剣幕(この国ではケントが異常な人気闇で売ると相当なお金になると思われる)。 今は持ってないという説明なんぞには耳を貸さず、大山の手提げ鞄を探り出します。 そして「コーヒーはあるか」「服は何処に置いてきた」「何でもいいからよこせ」、ちょちょちょっと待ってよお。 目茶苦茶可愛い女の子だったのです、十歳ぐらいの。 それが悪魔のように変身して西欧煙草をねだり出してしまうのでした。 大山は怒っていいやら悲しんでいいやらわあんいぢめるよおと泣きながら走って逃げてきたのでした。 情けない話ですみません。 全て大山の現状認識の甘さから展開した地獄劇でありますが、大山が本当にモンゴルかヴェトナム人だったら、せめて日本人だと答えなかったなら、おも思ってしまいます。 人々は知っています、この黄色人種が金とモノを持っていることを。


おまけで、このバス停は乞食の渦でした。 かしこそうな眼をした少年が座り込んで狂ったような速度でお辞儀をし続けていたりします。 スリランカの乞食達とは全く違った暗さ。 人が道端でばたばた死んでいくスリランカの方が状態は酷いはずなのだけど、暑いから人も死ぬわな的な気分もそこにはあったのです。 でも、ここは。 恥ずかしい事なのかも知れないけれど、大山にとって「金」とはモノだけでなくて空間も時間も、さらに人間だって購えるものでした。 そして今でもこんな観念が同じ世代の日本人から責められるべき筋合いのものではないと思ってしまいます。 本で戦時中の生活について読んだとて、おじいさんから何度同じ苦労話を聞かされたとてモノのない状態なんて理解できるものではないです、はい。 大山はほんっの数日間部分的モノ飢餓を体験しただけだけれど、未だにその恐怖を拭い去れません。 但し今では再びすっかりモノ過剰の状態に戻りきっている自分がここにいて、これは大変情けないことですが、そういうものなのでしょうか。 書いているうちにわかるよな気もするので、まだ続きます。 明日にでも秘密警察の話。