東欧見聞録>恐怖のるーまにあ : 05 (text by 大山あゆみ)

(JOHNR)「ジョン万次郎星間漂流記」611 of 786 89/09/24 08:33:16 101 line(s)
from 0681 大山あゆみ
題名(Title): 東欧見聞録>恐怖のるーまにあ : 05
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倫敦にはてれび局が四つあります。 東京は七つですね。 ルーマニアには一つしかありません。 ルーマニアは国営放送で、平日は午後七時から九時まで、週末は午後十時までの放送です。 大山は日曜にてれびを見る機会がありました。


まず七時からは三十分間のドキュメンタリー番組です。 ルーマニアの何処かの街の工場の風景が写し出され、新発明の方法で生産が飛躍的に伸びたという話をしている様子。 何度も何度も「チャオシェスク大統領が」と繰り返されます。
次の三十分間はチャオシェスク賛美番組で、ものすっごくおかしい。 夜会服に身を包んだ男女が「にこらえ・ちゃおしぇすく・ふぁんたすてぃーか、えれなもふぁんたすてぃーか」と朗読し、次の場面では子供が似たようなことをやります。 艶やかな民俗衣装(ルーマニアには特色ある地方が多いので民俗衣装や民芸品は凄いです)を来た*1人々は「ちゃーおしぇすくーらんらららーん」と歌って踊り、組体操をしたりもします。 トランシルヴァニア地方の有名な民謡はルーマニア語に翻訳されて歌われハンガリー舞踊も紹介されます。 関係ないけどハンガリー舞踊はくるくる回ったり飛び跳ねたりとすばしっこいもので、ルーマニア人はこれを指して「マジャール人はあの踊りと同じように攻撃的なんだ」と悪口を言ったりします。 そして大統領夫妻ご自身も現れ、子供から何本もの花束を受け取ったり人々ににっこりと手を振ったりしていらっしゃいました。 録画してNHKに送りたかったです、ほんとに。
八時からはアメリカ映画が字幕つきで放映されます。 この日は米国の社会主義者が苦労するお話でした。 これは英語の勉強によいと人気があるのだそうです。
十時にニュース番組がありましたが、ルーマニア各地の生産状況を絵なしでえんえんと説明するというものでした。 それから国内と海外のニュース(西独と米国と日本の地図が次々と写されたけれど内容はわからなかった)、天気予報。 以上です。


平日は映画がなくて、ドキュメンタリーが1時間とニュース・チャオシェスク番組が三十分ずつという話でした。 うーむ。


「僕達はもうTVを見ないようになってきた。 いつだって同じことの繰り返しだ。 ルーマニアがどんなに発展しているか、チャオシェスクがどんなにすばらしいことをなし遂げたか、それだけだ。 そんなことが出鱈目なことはもうわかっている。」
前述の機械工学の大学生の言葉です。 彼だけでなく、大山がルーマニアのてれびは面白かったというと皆さん複雑な顔をなさいます(あたりまえだ)。


ルーマニア西部ではハンガリーの放送が、北東部にはソビエトのてれびが、南部ではブルガリアのものが受信できるそうです。 大山は東部にいたのでソビエトのものを見ましたが、やたらと舞台的なドラマでありました。 それからニュースではやはり日本について伝えていました。 大山は何か大きな事件があったのではないかと大変不安になったのでした。


このような状態ですので、若者は現代音楽つまりロックに飢えております。 思いっきりハードなものという訳で、へびめたが特に人気です。
ドナウ・デルタ工業都市で会った二十二歳の労働者のお言葉であります。
ソビエトボン・ジョヴィのコンサートがあったのを見たか? スコーピオンズソビエト公演をやった。 すごいよ、すごかった。 僕はテレビで見たんだ。 ハンガリーにも沢山のミュージシャンが来ている。 なのに、ここには何もないんだ」
なるほど街に流れる音楽はクラッシックか民謡、せいぜい十年前の西欧のヒット曲かピンク・フロイドのコピー・バンド(彼らは何処でも不思議と凄い人気である)。
西部の人ユーゴスラヴィアのラジオを受信・録音し、北東部に売りに来たりもするそうです。 恐らくこれも違法行為なのだろうけど、がんばれがんばれ。


この工業都市はブレイラという街で、ソビエトとの国境を走る船が出る港のある街であります。 ここに滞在中、ブルガリアの船とルーマニアの船とが酔っぱらい運転のために衝突し、285人が死亡というかなりの大事故があったのですが、街はいたって静かでした。 次の日にその船に乗る予定だった大山は港の張り紙で船の運休を知り英語を話す船乗りさんから事情を説明されました。 だけどホテルの人もこの事件を知らなかったし、事件当時大山は警察署にいたのだけれど所内はのんびりとしておりました。
二十二歳の労働者さんは「東京では三十秒で伝わる情報が、ルーマニアでは三十分もかかるんだ」と評しましたが、それ以上といえないこともないです。


ただここで不思議なのは、どうやってこの二十二歳の彼が「東京では三十秒で情報が伝わる」と知ったかということです。 ルーマニアの国営放送が「ルーマニアの情報伝達はとっても遅いんですよ」とやるとは思えないし。 それに彼が特に東京事情に詳しかったとも思えません。 こんな情報さえも不思議と何とかして伝わるものなのでしょうか。 ■■外界から遮断されたとて、人は無知な状態にただ安住しているのではないのでした。 さすが現代であります。
それでいながら他の日本情報はというと「からてじゅーどーぶるーすりーあちょー」だけでした、くすん。 何人の人から空手をやるかと訊かれたことやら。


マジャール語の新聞が廃刊になったのはトランシルヴァニア問題に寄せて書いた通りで、現在国内で読めるのはルーマニア語のもののみ。 マジャール語の雑誌も廃刊とされ、代わりに英・独・仏語の観光客向けの月刊誌があります。 ブカレストにある米国図書館には警察に見守られながら米国新聞が張り出されており、果たしてルーマニア人が読むことは許されるのかは定かではありませんでした。


大きな街にはいくつかの映画館が見られ、ブカレストには劇場も多くあります。 ただ実験的・前衛的作品にはお目にかかれないでしょうとのこと。 入場料は安いです。


ルーマニア語はラテン系の言語ですので、仏・伊・西語などを理解する人には馴染み安い言葉です。 しかし、ラテン人は自分の言葉に誇りを持ちすぎる傾向があるのが常で、その言葉を理解しない人間には辛くあたるように思えることもあります。 要するに「けっ、こいつわかんねえんだよ」と。
まあ、言葉もろくに操れない赤児が街をうろつくのが間違っているのかも知れませんが、少なくともチェコ人は必死にチェコ語を教えてくれたし、マジャール人は大山が理解せずとも気にしないでべらべら喋りつづける人が多かったです。 それがここでは何度馬鹿にされて泣いたことやら。 はっ、また愚痴になってすみませんです。
いや、いっそ再び暗いお話にしてしまいましょう。 それから黄色人種蔑視が異常に激しかったのです。 東欧はどの国に行っても日本人の女の子は珍しがられますが、大抵は驚いて振り返るだけか指さして何か囁き合うか、せいぜい何処から来たと質問しに来る程度。 それがこの国では、貧しい階層の子供が駆け寄って来たかと思うと「この中国人!」と罵倒、中には石を投げつける子さえいました。 勿論勿論親切にしてくれた人はそれ以上に沢山いたのですよ。 ただこういうことは強く頭に残ってしまうのです、くすん。 ブカレストなどでは留学中のヴェトナム人が何人か見受けられましたが、大丈夫なのかしらと余計な心配。


何が言いたかったのかというと「閉じた世界」だからなのではないかしらということです。 それから大山が余り豪華な恰好をしていなかったことも理由の一つだったと思います。 常に人から蔑まれていた貧しい子供達は、更に貧しく醜い大山を発見して嬉しかったのではないか、と。 穿ち過ぎかしら。

*1:ママ