秋葉原通り魔事件から1年

 毎日更新、とか言っていて1日あいてしまった。


【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´):【武藤舞さん】アキバ通り魔事件から1年だぞー【2009年6月8日】


とのことである。
 新聞やTVをにぎわす事件についてはしぜんと耳をふさぐ習性があるので(なんだそりゃ)、犠牲になった人にこういう話があるのははじめて知った。
 このブログで紹介されているような「ざま見ろ」的な発言が道徳的によろしくないのはまあ当然なのだが、いっぽう、ここで騒いでいる2chのみなさんのほうが、なんの感興ももよおさない自分よりも、じつは人間的なのではないかという気がする。
 自分はほんとうに他人に興味がないのだなあとさいきん切実におもうのだ。ことに、直接の知人ではない人が死んだりひどい目にあったりした話を聞いたときには想像力がまったくはたらかない。事件で亡くなった人のバックストーリーをきいても、小説のなかで人が死ぬのとの区別がつかない。だから事件の犯人にたいして憤りやらを感じることもない。犯人がどういう経緯でそのような事件を起こすにいたったのかという話には多少興味がないでもないが、だからといって彼をどのような刑に処すべきだとかすべきでないというふうには考えがつながらない。ひどい言いかたになるかもしれないけれど、正直言って「どうでもいい」のだ。
 それにくらべると、犠牲者の人となりからつよい感情(「可哀想」であれ「ざま見ろ」であれ)をもったり、光市事件のごとく犯人にたいして声高に厳罰を求めたりするというのは、それが社会的にどういう意味をもつのかはとりあえずおいといて、それらの事件の当事者につよいシンパシーを感じているゆえの行動なのだろうとおもう。なんというか人間として、そっちの方がまっとうなんじゃないかという気がして仕方がない。
 とはいっても自分のそういう性向をいまさらどうにかしようとしているわけでもないので、自分としては自分の想像力がおよぶ範囲でできるかぎり同情しようとはおもっている(なんだか妙な言いかたになってしまった)。
 なにが言いたいのかよくわからない文章になってしまったけれど、自分がこの種の事件報道に反応しないのはこのような理由があるのだなあ、ということです。