あとかたづけ

痩せて疲れ果てた山本義隆が1974年の冬、東大全共闘最後の立て看を片付けているとき、彼の傍らにはもう一人の同志も残っていなかった。
冬の夕方、10畳敷きほどある巨大な立て看を銀杏並木の下ずるずるとひきずってゆく山本義隆の手助けをしようとする東大生は一人もいなかった。
目を向ける人さえいなかった。
法文一号館の階段に腰を下ろしていた私の目にそれは死に絶えた一族の遺骸を収めた「巨大な棺」を一人で引きずっている老人のように見えた。


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 政治的運動の後片付けについてはよくわからないのだけれど、この日わたしは具体的な「後片付け」をしたのだった。そしてわたしは、たしかに内田が言うように、誰かがそのような「後片付け」をすることによってしか完結しないものがあるのだろうとも思った。わたしは彼女を十分に愛してはいなかったけれど、それなりの敬意をはらいもしたし、それによっていわばわたしなりの「落し前」をつけたつもりではいる。

愛よりももっと深く愛していたよ おまえを
憎しみもかなわぬほどに憎んでいたよ おまえを
わたしに重なる影 わたしの神
こんな夜は 涙が止まらない


萩尾望都半神 (小学館文庫)

 いやまあ、こんな科白を贈るほどには、思い入れもなかったのですがね。