星条旗と日の丸

アメリカで暮すあいだに、なんどか国旗や国歌について考える契機となる新鮮な経験をした。


アメリカでの生活が一年半ほどすぎたころ、子どもたちはプロ・スポーツのさかんなお国柄の影響を受けて、試合を見たがるようになった。はじめて首都のキャピタル・センターへ、カナダ対アメリカのアイスホッケーの試合を見にいったときのことだ。見物席は満員で、人びとはビール、コーラ、ポップコーンなどを手に、まるでお祭見物のようにたのしげに食べたり、笑ったりしていた。


選手たちがリンクに登場すると、天井ちかくにそなえつけてある巨大なテレビ画面いっぱいに広がった星条旗がはためきはじめた。すると、周囲の人びとが立ちあがったので、私たちもまごつきながらも立ちあがった。テレビのなかの勇ましげな星条旗にあわせて、アメリカの国歌 "The Star-Spangled Banner" の曲が流れた。メロディーはオリンピックでなんども聞かされるものだ。


ふと次男をみると、右手を左胸にあてた姿勢でしっかりと画面の星条旗をみつめているではないか。家族一同、驚いて彼を見てしまったのだが、気が落ちついたところでまわりや向かい側の座席の人びとをよく見ると、すわったままの人が半数ちかくいることに気づいた。なんだ、あせって立ちあがる必要はなかったのか、とあわてたぶん、自分に腹がたった。


日本では、起立するときはいつも”一同起立”だ。小学校の卒業式以来のクセが身体にしみこんでいるらしい。そのうえ、周囲と同じように行動していれば安全というおそろしい習慣もまた身につけているのだ。マイペースでドッカと腰をおろしている人びとの堂々たる自主性にひきくらべて、おのれを知った夜だった。これは、次男の行動もふくめて、国旗や国歌について考えた最初の機会だった。


チャーチル・ロード小学校では、各教室の黒板の横に星条旗が飾ってある。次男の最初の担任ミスター・ジョーンズはこの旗を巻きあげたままで、一度も使わなかった。ところが、二年目の担任はいつも旗をひろげていて、毎朝、生徒に忠誠の誓いさせる。この担任になって半年もたっていないのに、次男はごくしぜんに米国旗にむかってきまったポーズをとったのだから、子どもにこういう訓練をすることは容易なのだろう。
その誓いのことばとは以下のようなものだ。

"The Pledge of Allegiance to the Flag of the United States of America"
I pledge allegiance to the flag of the United States of America and the
Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.
アメリカ合衆国国旗への忠誠の誓い”
私は、アメリカ合衆国国旗に、そして、国旗がよってたつ、神のもとに一国をなし、一体不可分の、万人に自由と正義をおよぼす共和国に、忠誠を誓う。


国旗に誓うという行為は、戦前の軍国主義時代の日本での、日の丸や天皇の写真をおがむ儀式と似ている。つぎにミスター・ジョーンズと会ったときに、なぜ誓いをしないのかをたずねると、「個人的には、国旗というモノに誓うことがナンセンスだと思う。また、星条旗のもつ歴史的な罪を考えたときに、とても子どもたちに自信をもって国旗をひろげてみせられるものではないと考える。しかし、私の考えを生徒に押しつけるわけにはいかないから、毎年、学年はじめに生徒に投票させてきめる。私の経験では、生徒たちの意志で誓いをしたのは一回だけだ」と答えた。


日本には戦中派とか焼け跡派とか呼ばれる世代があり、そういう世代のだれかが、「日の丸・君が代だけはゴメンだ。すもうは好きだが、国技館君が代のために起立するのはいやだ。かといって、一人だけすわっている勇気はない。だから、すもうを見にいけないのだ」と書いていた。


アメリカにはヴェトナム戦争の戦中派がいる。私と同世代の人びとであるせいか、あるいは、ヴェトナム戦争そのものが、記憶に新しい同時代の出来事であるせいか、彼らの主張には迫力がある。


「年寄りや若い人たちにはわからないと思うが、私たちは二度と国歌をうたわないし、国旗のために立ちあがったりしない」と彼らはいう。ミスター・ジョーンズもその世代に属している。わが家の向かい側に住んでいた下院議員ブロードヘッドさんの奥さんも、「あれがいやだから、子どもたちをスポーツの試合に連れていきたくない」といった。

  • アメリカでは国家*1を歌えない子も多い

アメリカの国歌 "The Star-Spangled Banner" は、独立戦争のとき、英軍の捕虜になった兵士が、収容所の窓から遠くみえる星条旗をみてつくったとされている。たとえ自由と独立を願った歌でも、その後、他国を侵略するときの象徴となって、歌詞の中身よりも、侵略の歴史と国家権力のおそろしさを国民に思いださせるものとして存在することになったとき、その歌を子どもたちに教えたくないと考える大人がいるのは当然だ。


なお、この歌の歌詞は以下のとおり。

"The Star-Spangled Banner"
Oh,say can you see, by the dawn's early light,
What so proudly we hailed at the twilight's last gleaming ?
Whose stirpes and bright stars thro' the perilous fight,
Over the ramperts we watched, were so gallantly streaming ?
And the rocket's red glare, the bombs bursting in air,
Gave proof through the night that our flag was still there.
Oh, say does that star-spangled banner yet wave,
O'er the land of the free and the home of the brave.


星条旗
わかるだろうか。明け方の光に、夜明けのうすあかりに、何をみて、われわれが歓呼の声をあげたかを。危険な戦いのあいだ、塁壁の上に、雄々しくひるがえっていたストライプと輝く星がだれのものかを。
ロケット砲の赤い閃光と、空中で炸裂する弾丸は、一晩中、わが旗はそこにありと示していた。
星条旗はまだそこにひるがえっている。
自由人の地、勇者の祖国に。

長男がかよったクーパー中学校では、体育室をのぞいて、どの教室にも星条旗がなかった。国家を歌ったことは二年間(このあたりの中学校は二年制、高校が四年制)で一度もなかった。長女のかようラングレイ高校へは、クーパー中学校の生徒がそのままほとんど全員、進学する。


ハイスクールの運動部の対外試合では毎回、試合のはじめに国歌の斉唱がある。ところが、ラングレイ高校では教室に国旗はなく、国歌を練習することもない。試合を応援にいった生徒たちは、立ちあがって左胸に右手をあてても、歌わない者が多い。歌えないということも事実だ。アメリカの国歌はメロディーが複雑で、歌詞が長い。クーパー中学校では一度も歌わなかった生徒たちだからだ。(国歌を完全に歌えないアメリカ人はとても多い。)


永家光子『星条旗と日の丸―アメリカの体験から日本の教育を考える』より


著者の永家光子氏は、「著者紹介」によると

現在、大学生・高校生・中学生三人の母親。
発展途上国援助団体に勤務。
東京都調布市在住。

とのこと。この本が1987年刊なので、いちばん下の息子さんももう30代後半になっているはず。
プロフィールもそうだけど、こうして書き写してみると、文章の書きっぷり(とくに文字遣い)に教養のゆたかさを感じる。この方いまなにしてらっしゃるのだろう。

*1:ママ