第60回アカデミー賞授賞式におけるビリー・ワイルダーのスピーチ

ふるいビデオの整理をしていたら、1987年の第60回アカデミー賞授賞式のテープが出てきたので、一部をDVDに焼いてみた。当時はまだWOWWOWもなく、この録画もフジテレビが深夜にダイジェストを放送したものである。ナレーションで解説をするのは筈見有弘中井美穂アナウンサー。


この時にビリー・ワイルダーがアーヴィング・G・サルバーグ賞を受賞していて、その受賞スピーチがとても感動的だったので、書き起こししてみました。ほぼテレビの字幕どおりですが、適宜手を加えています。

私の聞く所では、この賞に匹敵するほど権威があるのはノーベル賞ぐらいだとか。
(トロフィーを脇にどけて)壊しちまいそうだからどけとくよ。
まず感謝の言葉を捧げたい。
アカデミー協会会長と会員の皆さん、世界中のファンの皆さん……まあ、文明国のね。
とりわけ、ある一人の紳士に……。私の最大の恩人だ。名前は忘れてしまったが、彼のやさしさは忘れやしない。メキシコの米国領事館の人だ。


1934年、ヒトラーが出てきた翌年のことだった。
ヨーロッパから亡命してきた。
運良く脚本がハリウッドに売れたので、半年のビザを取り仕事を始めたが、半年はあっという間に過ぎた。
アメリカで仕事がしたかったので困ってたら、移民ビザを取れと言われたわけだ。
そのためには一度アメリカを出て、移民ビザを取ってから戻るのがいいというんだね。
そこで国境に一番近いという、メヒカリ(メキシコ)の領事館に行った。
領事の執務室に呼ばれた時には汗びっしょりだった。暑さじゃなく恐ろしさでね。
山のような書類が必要だという事を聞いてたんだ。
宣誓供述書、居住証明書、犯罪者やアナーキストでないという宣誓書…
何もなかった。
旅券と出生証明書と、アメリカの友人が"無害な男"と書いた手紙しかない。絶望的だったよ。
ウィル・ロジャースによく似た領事が私の書類を調べて言った。
"これだけかね?"
"そうです"
と答えて、20分間でベルリンを出た事情を説明した。
気がつくと制服の男が2人、じっと私を見てるんだ。
スーツケースにわずかな荷物を詰めてパリに帰る腹を決めたよ。
領事がこう言った。
"こんな書類でビザが取れるとでも?"
私は答えた。
"ナチス・ドイツに申請したけどダメでした。ドイツに帰って再申請したら、ダッハウに送られるだけでしょう"
領事は黙って私の顔を見ているだけなんだよ。
不安だったね。ビザを何年も待ってる家族や、拒否された人の話を聞いてたし、アメリカにはとても戻れそうになかった。
領事と私は顔を見つめたままただ黙っていたが、やがて彼が
"職業は?"
と聞いた。
"映画の脚本家(I write movies.)"
と答えると、
"本当かね"
と言い、立ちあがって歩き出した。私を値踏みするように。
そしてデスクに戻り私の旅券を開くとスタンプを取って…
(ドン、ドンとスタンプを押すようにテーブルを拳で叩く)
私に返しながらこう言った。
"いいものを書けよ(Write some good ones.)"
54年前の話だが、いまでもいいものを書こうと努力してる。


(会場拍手)


本当に、その人を失望させたくなかったんだ。


振り返れば幸運な人生だった。
サルバーグ賞などもらえるとは本当に夢にも思わなかった。
本当に皆さんは心優しい人達ばかりだね。
この賞は共同執筆者のダイアモンドのものでもあると思う。
見てるかい?
Thank you very very much.


ところで念のためにググッてみたら、サルバーグではなくアーヴィング・G・タルバーグって表記するのね今じゃ。