キーワード・つしまゆうこ
「津島佑子」を編集してみた。自分のなかではほぼ完璧の内容になった。
ただ、編集前がそうなっていたのでとりあえずそれに準拠しておいたのだけど、「主な著作」を長編と短篇集に分けるのは個人的にはあまり好きではない。時系列にそってぜんぶ並べてしまうほうが、読書のてびきにはなるような気がする。
というわけで、個人的に作った「津島佑子ビブリオグラフィ」をのっけておく。
「手の死」「夜の……」(同人誌「よせあつめ」、1966)
「現代と夢」(大学祭懸賞論文当選、1966)
「ある誕生」(「文芸首都」9月号、1967、筆名安芸柚子)
「蝉を食う」「硝子画の世界」(「文芸首都」4月号、12月号、1968、筆名芦佑子)
「レクイエム――犬と大人のために」(「三田文学」2月号、1969、筆名津島佑子)
「霧の外」(「弾機」5号、1969)
「粒子」(「三田文学」8月号、1969)
「青空」(「文芸」12月号、1969)。
「ユリディスの樹」(「文芸」4月号、1970)
「雨の庭」(「三田文学」5月号、1970)
「最後の狩猟」(「犯罪」第2号、1970)
「メリー・ゴーラウンド」「空中ブランコ」「踊る大女」(「文芸」5〜7月号、「謝肉祭」三部作、1971)
「月草」(「展望」6月号、1971)
「揺籃」(「すばる」6月号、1971)
『謝肉祭』(河出書房新社、1971)
「狐を孕む」(「文芸」5月号、1972、第67回芥川賞候補作)
「童子の影」(「文芸」11月号、1972)
「壜のなかの子ども」(「群像」2月号、1973、第69回芥川賞候補作)
『童子の影』(河出書房新社、1973)
『生き物の集まる家』(新潮社、1973)
「火屋」(「群像」12月号、1973、第70回芥川賞候補作)。
『我が父たち』(講談社、1975)
『葎の母』(河出書房新社、1975、田村俊子賞)
『草の臥所』(講談社、1977、泉鏡花賞)
『透明空間が見える時』(青銅社、1977)
『歓びの島』(中央公論社、1978)
『寵児』(河出書房新社、1978、女流文学賞)
『夜のティーパーティ』(人文書院、1979)
『何が性格を作るか〔性格学講義〕』(宮城音弥との共著、朝日出版社、1979)
『氷原』(作品社、1979)
『光の領分』(講談社、1979、野間文芸新人賞)
『最後の狩猟』(初期作品集、作品社、1979)
『燃える風』(中央公論社、1980)
『夜と朝の手紙』(海竜社、1980)
『山を走る女』(講談社、1980)
『小説のなかの風景』(中央公論社、1982)
「黙市」(「海」8月号、1982、川端康成賞)
『水府』(河出書房新社、1982)
『私の時間』(人文書院、1982)
『火の河のほとりで』(講談社、1983)
『黙市』(新潮社、1983)
『逢魔物語』(講談社、1983)
『幼き日々へ』(講談社、1986)
『夜の光に追われて』(講談社、1986、読売文学賞)
『真昼へ』(新潮社、1988、平林たい子賞)
『夢の記録』(文藝春秋、1988)
『本の中の少女たち』(中央公論社、1989)
『草叢』(自選短篇集、學藝書林、1989)
『キャリアと家族』(マーガレット・ドラブルとの対談、岩波ブックレット第163号、1990)
『伊勢物語/土佐日記』(講談社、1990)
『溢れる春』(新潮社、1990)
『愛の時代』(福井信子との共訳、福武書店、1990)
『大いなる夢よ、光よ』(講談社、1991)
『かがやく水の時代』(新潮社、1994)
「アイヌ叙事詩翻訳事情」(日本経済新聞、1995)
『風よ、空駆ける風よ』(文藝春秋、原題「砂の嵐」、1995、伊藤整文学賞)
『銀の雫降る、降る――アイヌの歌』”Tombent,tombent les gouttes d'argent”(アイヌ叙事詩の仏語訳、監修、ガリマール社、1995)
「母の場所」(「新潮」10月号、1997)
『火の山――山猿記』(講談社、1998、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞)
『「私」』(新潮社、1999)
『アニの夢 私のイノチ』(講談社、1999)
朝日新聞夕刊文芸時評(2000/4/27〜2001/3/27)
『笑いオオカミ』(新潮社、2000、大佛次郎賞)
『快楽の本棚』(中公新書、2003)
『ナラ・レポート』(文藝春秋、2004、芸術選奨文部科学大臣賞、紫式部文学賞)
『女という経験』(平凡社、2006)
『山のある家 井戸のある家 東京ソウル往復書簡』(申京淑との共著、集英社、2007)
『トーキナ・ト』(福音館書店、2008)
『あまりに野蛮な』(講談社、2008)
『電気馬』(新潮社、2009)
『黄金の夢の歌』(講談社、2010)
『葦舟、飛んだ』(毎日新聞社、2011)
『ヤマネコ・ドーム』(講談社、2013)
あといろいろ見ていると、「片桐はいり」の在籍していた劇団名が間違っていたのでそこだけ修正しておいた。いくらなんでも「劇団ブリキ」はないでしょ。ナンシィ・トマトが泣くよ。