山尾美香『きょうも料理』を読む

図書館で借りて読む。
「はじめに」の部分から違和感がぬぐえず、第1章を読むうちモヤモヤがたまってゆき、第2章以降はほとんどとばし読みしてしまった。
ところがネットで検索してみるとわりに好意的なレビューが多く、貶しているものはあんまり見つからなかったので、ひとりくらいネガティブなことをいう人間がいいてもいいかなーと思った次第です。
この本は、大ざっぱにいうと「<家庭料理>というマス・イメージと、<料理は愛情>イデオロギーがいつ、どのようにして成立したか?」というのが主題であって、話は明治時代にさかのぼるのである。修士論文として書かれた文章がもとになっているだけあって随分いろいろ調べているなあという感じなのだけど、どうもなんだか根本的な部分で疑問が残ってしまった。というのは、明治のころだと東京の実業家から田舎の百姓まで今とはくらべものにならない階層差があるわけで、そのどの階層にフォーカスをあてるかによって「家庭料理」のイメージもまったくちがったものになってしまうわけだから、そこんところをはっきりしてもらわんと、精密な分析も足下が不安定な印象になってしまうんですね。おそらく第1章での分析の対象になっている新聞や婦人雑誌の読者である「上流階級〜新中間層」がそれにあたるんだろうなあという見当はつくんだけど、それが社会全体のどのくらいの割合になるのかとか、素人にはよくわからんのよ。
そういう疑問をつみのこしたまま、第2章以降は大正から戦中・戦後と時代をくだってゆくのだけど、この人、年を記述するのに西暦と元号をごっちゃにしちゃってるのでややこしいことこの上ない。こういうのって編集者はチェック入れないんでしょうか。また、引用されてる文献も本文中では発行年が入ってないので、いちいち巻末の参考文献を参照しないといつの文章なんだかわからない。論文だったら論文らしい引用の仕方があるんでねえの。
また、膨大な資料を参照しているのにもかかわらず、レシピそのものの引用がほとんどないのも不思議。いま普通に使われている「カップ何杯」とか「大さじ1小さじ2」という計量器具を発明した香川綾への言及が当然あるものだと思っていたので、肩透かしをくらった感じがした。戦中の家庭料理のレシピの変遷をていねいに追った斎藤美奈子の『戦下のレシピ―太平洋戦争下の食を知る (岩波アクティブ新書)』が参考文献にあがっていないのは、執筆時期から見てしかたないかもしれないけど。
ただこの著者が斎藤美奈子の影響下にあるのはネットの感想にもあるとおりで、特に記述が現代におよぶと感情がたかぶるのか、わざと文体をくずしてみたりしている。だけどねえ、斎藤美奈子のアレは名人芸なんで、素人が真似してもたいしておもしろくないんだよなあ。本多勝一が『日本語の作文技術 (朝日文庫)』でいうところの「自分が笑っちゃってる文章」になってしまってるような気がします。
そもそもですね、「はじめに」で著者は「私は結婚するまで、母親の作る料理に大きな不満をかかえていた」と言い、「母親を反面教師にして、結婚後のわたしは料理に励んだ」と言うわりに、どうも料理そのものは好きではないみたいなのだ。「料理が嫌いなわけではなかったが」とも書いているけど、結婚前には「母に反発」とか「料理などしなくても十分生きていけた」とか理屈をつけて料理しなかったことを告白しているし、つまり「料理は愛情」だから「結婚したら毎晩ちゃんとごはんを作るべき」なんだけど「料理キライ」だから毎日憂鬱だどうしよう、というのがもともとの問題意識なわけです。
であるならば、この著者がやるべきだったのは「料理は愛情」イデオロギーがいつ自分に植え付けられたのかを近代史ではなく個人史をさかのぼることで明らかにすることだったのではないかとおもう。でないと「家庭料理本のせい」「TVの料理番組のせい」「料理研究家のせい」って戦犯をあげつらうだけの話になってしまうからね。じっさい、この本の後半は基本的にそればっかりのようにみえる。そうではなくて、自分の過去の記憶をえぐって血を流さないと、料理に対するトラウマはなくならないだろう(俗流フロイトっぽいけど)。そのうえで無事「愛情抜き料理」をつくることができれば、毎日の憂鬱もすこしは晴れるのではないでしょうか。
話はちょっとそれますけど以前柳美里の『ファミリー・シークレット』という本を読んで、「分析の対象者と観察者がごっちゃになっちゃっちゃ上手くいくものもいかんわなあ」と思ったことがあったんですが、それと同じようなものをこの著者にも感じる。「料理は愛情イデオロギー」の起源を明らかにするなら自分の感情には触れない、自らの「料理面倒」トラウマに向き合うのなら日本の近代史はちょっと横においとく、という切断が必要だったのではないかとおもいました。

きょうも料理―お料理番組と主婦 葛藤の歴史

きょうも料理―お料理番組と主婦 葛藤の歴史

装幀がずいぶん垢抜けていて(AD・佐々木暁)はじめ原書房の本のように見えなかった(失礼)。原書房ってマニアックな本を出す分、デザイン等にあんまりお金かけないっていう印象があったもので(かさねがさね失礼)。