辻井喬『叙情と闘争 辻井喬+堤清二回顧録』を読む

80年代に東京で青春をすごした自分にとって、セゾングループというのは影響というかたいへん思い入れのある企業だったので、それが一世を風靡する様子やその後没落してゆくさまをながめるのはとても感慨深いものがあった。そしてその経営者の半生記ともなれば、さぞかしダイナミックな挿話に満ちているのだろうとおもいきや、期待したようなお話はあんまりなくて、かわりに文学者・辻井喬の内省的な文章が続くのであった。内省的というか本人の手による詩の一節がしばしば引用されて、その背景の事情とともに語られるのですが、正直言ってこの詩というやつ、なんだかやたら感傷的であんまり感心しないのよね。いや、作品をちゃんと全部読んでみたら感想も変わるのかもしれませんけど。


これは読売新聞に連載されたものらしいけど、時系列順ではなくそれぞれの章ごとに別のトピックスについて書かれているということもあって、はじめの方は時間が行ったり来たりしてちょっと読みにくい……うーん、読みにくいのにはもうひとつ理由があって、この方あんまり描写がうまくないような気がする。父康次郎の死ぬ場面。

 父は職員の仮眠室に寝かされていたが僕の顔を見て、
「脳溢血か?」
 と聞いた。父がことあるごとに敬愛の言葉を惜しまなかった祖父は、”脳溢血”で急死していたから、堤康次郎はいつもその病気を気にしていたのだ。
「それだけお話になれるのですから違います、多分貧血と思います」
 と僕は印象とは違うことを言った。目の光や呼吸の乱れから、これは面倒な症状だと直感していたのだ。国立東京第一病院に運びこむと医長の三上次郎が現れ、部下にテキパキと応急処置を命じてから僕を医長室に呼んだ。
心筋梗塞です。出来るだけのことはしますが予断は許しません。ご親族にはお報せになっておいた方がいいでしょう」
 と言った。彼は僕が肺結核で寝ていた時の主治医だった人の弟で、前にも紹介されて知っていたので話しやすかった。
 遅ればせに異母兄弟とその母親も駆けつけてきた。父の心臓はどんな薬を使っても頑として動かなかった。二日目、アメリカの大学に行っていた末の異母弟が帰国した。その後、僕は異母弟の一番上の義明を病院の近くのレストランに誘い、今度はむずかしいかもしれないからその覚悟をしておくように、万一の時は助けるから心配しなくていい、僕は後を継ぐつもりはないからと話した。二十六日の朝、父は口からいかにも苦しそうな茶色の液体を吐き、それが合図であったかのように呼吸が止まった。三上医長が聴診器を当て耳からそれを外して掌を合わせた。……


「父の死」


ながながと引用してしまったけど、応急処置のあと心臓が「頑として動かなかった」のならその時点でもう死んじゃってるのではないのだろうか? なんだかその後自発呼吸してるみたいに書いてあるけど、どういう状況なのかちょっとよくわからない。


こういう明らかな矛盾でなくとも、たとえば共産党員から父親の秘書への転身だとか、はじめはなりゆきのようにして入社した西武百貨店を一流の会社にしてゆく様子だとか、またそのグループが崩壊してゆく過程など、詳しく話を聞きたいと思う部分はあんがいさらっと流されることが多かったりする。そのかわり強調されるのは三島由紀夫安部公房森有正といった文化人との友情であり、政財界の要人のエピソードであり、ソ連や中国との交流の様子である。まあそれはそれで興味深いのだが、なんだかどうも核心を語らずはぐらかされてるような気分になる。共産党員だった過去と父親の秘書だったことと大企業の経営者であることと晩年「9条の会」で活動していたこととは本人の中でどう折り合いがついていたのかさっぱりわからないし、ビジネスの話も百貨店本体やカード事業、「無印良品」、セゾン美術館などについては紙幅を割いているのに、パルコ・ファミリーマート・WAVE・チケットセゾンなどについては一言も触れられてなかったりする。この扱いの差というのはなんなんだろう。*1


以前上野千鶴子との対談『ポスト消費社会のゆくえ (文春新書)』を読んでとても面白かった記憶があるのだけど(感想→http://d.hatena.ne.jp/takanofumio/20090201)、もう一度読み返してみたくなった。あの中で上野が堤に突っ込んでたじたじとなる場面がしばしばあったような気がするが、堤清二氏には実生活の上で誰かがもっときちんと突っ込んであげる必要があったのではないかなーと無責任に思ったりする。まあ、グループの負債を清算するために私財をはたくという、これ以上ない突っ込みを受けておられるのだけれど。

叙情と闘争―辻井喬+堤清二回顧録

叙情と闘争―辻井喬+堤清二回顧録

*1:備忘のために書いておくと、言及のあるのは西武百貨店西友・リブロ・ピサ・サンシャインシティ朝日航洋安部公房スタジオ・西武劇場・セゾン現代美術館・セゾンカード・無印良品西洋環境開発・西洋フードシステムズ・地中海クラブなど。