「保守」と「リベラル」(渡辺将人『アメリカ政治の現場から』より)

 アメリカで何かを保守する、伝統を守るという場合、「人間の力を超えた神の手による秩序」を意味する。アダム・スミスがいう「神の見えざる手」による市場の安定とは、人間が市場に介入してあれこれ操作する必要はないということで、要するにシカゴ学派経済学がいう「小さな政府」である。神が与えた秩序に対し人間があれこれ加工してはいけないのであるから、クローン開発も妊娠中絶も大きな罪になる。
 アメリカでは日曜の朝にテレビをつけると、説教番組のオンパレードである。テレビ伝道師の代表格であるパット・ロバートソンらは、共和党保守派議員の強力なスポンサーでもある。いずれも宗教右派Religious Rightと呼ばれる、宗教を最優先の政治原理とする一派である。信仰心の篤い有権者の多い選挙区の議員であれば、妊娠中絶に絶対反対の姿勢を迫られる。神から授かった子は育てる義務があるという考えを、胎児の生命尊重派Pro-Lifeという。
 それに対し、「リベラル」というのは、人間の力で所与の「秩序」を組み換え、社会に人工的治療を施すことで世の中を良くしていこうという思想である。政府が市場に介入し、経済を安定させ、法制度で社会的弱者を救済し、公民権法で人権や平等を与え、環境破壊を規制しようとする。リベラル派の中絶容認をプロ・チョイスPro-Choiceと呼ぶのは、出産するかどうかの選択権は、その女性本人にあるという考えによる。
 このように、アメリカの政治思想の分裂は、「神」に対する姿勢の違いという観点から見ると、極めてわかりやすい。「選挙民、議員の宗教的バックグラウンドを探ること」は、選挙区対策でも議会でのロビイングでも必須事項なのだ。



渡辺将人『アメリカ政治の現場から (文春新書)』(2001年)「第4章 多様化するアメリカの選挙民」P133-134