クリスマスの(ささやかな)思い出

ある年の12月22日(だったと思う)の話。


当時勤めていたのは大型店の仕入れ課で、入ってくる商品を検品して売場に送り込み、返す商品をふん縛って取次に投げ返すというのが主な仕事だった。納品・返品を片付けたあとは検収印を押した伝票を経理に持っていって入力をお願いするのだけど、ここで書式や計算の間違いが見つかるとお叱りの言葉とともに突き返されることになる。年末繁忙期のピークであり、連休のはじまる前日ということもあってその日は納品も返品も量がハンパなく、発生した伝票を重ねるとちょっとした辞書くらいの厚さになるほどだった。通常の納品返品ばかりでなく商品の移動に関わる伝票だの「一旦動かしたあと値下げをかけて卸す」とかなんとか、なんだかよくわからない操作を伴うものがあったりして、そういうのが出てくるたびに下の階(だったのだ)の経理のおば…お姉さんのKさんに内線をかけて「これはこういう処理でよかったんですかね?」とお伺いをたてながら伝票の束と格闘をしていた。クリスマスとはいえ特に予定はなかったものの、朝の8時頃から肉体労働をやっていた我々としてはなんとしても残業は避けたかったのです。
格闘の甲斐あってなんとか目処がつき、そろそろ後始末をすれば帰れそうな雰囲気になってきた夕方5時ごろ、Kさんから電話がかかってきた。
「そろそろわたし上がるけどなんか質問ある? もう全部大丈夫?」
「あっはい……大丈夫だと思います。あ、Kさん連休ですっけ?」
彼女はワーキングマザーで、お子さんが冬休みに入ってしまうと出勤できる日ががくんと減ってしまうのだ。
「そう。年内はあと1日出てこれるけどきっとバタバタしちゃうから、ややこしいのがあったら今のうちに出しちゃってほしいんだ」
「ええと、めんどそうなのは昼間全部持ってっちゃったんで、あとは大丈夫です。たぶん……」
「たぶんて言うな! じゃあほんとに上がっちゃうよ私」
「はい、お疲れさまでした。えー、じゃあよいクリスマスを」
べつに格好つけたわけじゃないんだけど、なんかポロッと口から出てしまった。
「おさきに。メリークリスマス!」
とKさんも返してくれて、私の台詞もヘンに浮かないですみました。


あらためて思い出してみると、もう20年ほども昔の話になるんだわ。私もまだ独身だった、そんなクリスマスの思い出。

クリスマスの思い出

クリスマスの思い出

ハリー・トルーマンの話(宮本倫好『大統領たちのアメリカ』より)

……そこにはエリノア夫人、スティーブのほかに、大統領の娘婿夫婦がいた。トルーマンは大統領の身の上に何かが起こったことを直感した。エリノア夫人はトルーマンの肩にそっと手を置き、「ハリー、大統領が亡くなりました」と告げた。呆然として「自分に何か手伝えることがありますか」と聞くと、夫人が「いいえ、私たちこそあなたに何か手伝いができないかしら。今、人の助けがいるのはあなたです」と冷静に答えた話は有名だ。

 娘のマーガレットがトルーマンの死後しばらくたってからまとめた回想録によると、トルーマンは最初、自分の身に起こった大変な責任について恐れおののいていた。しかし、できるだけ気楽に取り組もうと、妻にこう言った。「自分はいい大統領になれると思う。というのも、リンカーンと共通点がいろいろあるからだ。第一に、二人とも狩りや魚釣りが嫌いだ。第二に、ユーモアのセンスがある。第三に、揃ってビジネスで破産の経験があることだ」。
 しかしトルーマンは、アメリカの大統領という職務に伴う「最終責任の取り方」に対して、明確な自覚を当初から持っていた。いつのころからか知らないが、彼の机の上には、"The Buck stops here."という自戒の言葉が飾られていた。buckとはポーカーで、ディーラーがゲームの種類を指定する権利を忘れさせないための印で、ポットの中に置く。このbuckをパスすると言えば、人に責任を転嫁するという意味になる。だからトルーマンの言わんとするところは、自分はもうこのbuckを誰にもパスできない、すなわち、「仕事の最終責任はすべて自分にある」ということだった。これは人類の運命にまでかかわるアメリカ大統領としての責任の重さを表す言葉として、その後広く認識されるようになる。ちなみに、この言葉は前述のマーガレットの回想録の題名に、そのまま使われている。

……トルーマンホワイトハウスウッドロー・ウィルソン元大統領の肖像画の下で、大統領就任の宣誓をした時、非常に怖かったという。「しかし、怖かろうが準備ができていなかろうが、その瞬間から絶えず心に誓い続けた。一生懸命やり、良い大統領になろう、と」。



宮本倫好『大統領たちのアメリカ―指導者たちの現代史 (丸善ライブラリー)』より

「保守」と「リベラル」(渡辺将人『アメリカ政治の現場から』より)

 アメリカで何かを保守する、伝統を守るという場合、「人間の力を超えた神の手による秩序」を意味する。アダム・スミスがいう「神の見えざる手」による市場の安定とは、人間が市場に介入してあれこれ操作する必要はないということで、要するにシカゴ学派経済学がいう「小さな政府」である。神が与えた秩序に対し人間があれこれ加工してはいけないのであるから、クローン開発も妊娠中絶も大きな罪になる。
 アメリカでは日曜の朝にテレビをつけると、説教番組のオンパレードである。テレビ伝道師の代表格であるパット・ロバートソンらは、共和党保守派議員の強力なスポンサーでもある。いずれも宗教右派Religious Rightと呼ばれる、宗教を最優先の政治原理とする一派である。信仰心の篤い有権者の多い選挙区の議員であれば、妊娠中絶に絶対反対の姿勢を迫られる。神から授かった子は育てる義務があるという考えを、胎児の生命尊重派Pro-Lifeという。
 それに対し、「リベラル」というのは、人間の力で所与の「秩序」を組み換え、社会に人工的治療を施すことで世の中を良くしていこうという思想である。政府が市場に介入し、経済を安定させ、法制度で社会的弱者を救済し、公民権法で人権や平等を与え、環境破壊を規制しようとする。リベラル派の中絶容認をプロ・チョイスPro-Choiceと呼ぶのは、出産するかどうかの選択権は、その女性本人にあるという考えによる。
 このように、アメリカの政治思想の分裂は、「神」に対する姿勢の違いという観点から見ると、極めてわかりやすい。「選挙民、議員の宗教的バックグラウンドを探ること」は、選挙区対策でも議会でのロビイングでも必須事項なのだ。



渡辺将人『アメリカ政治の現場から (文春新書)』(2001年)「第4章 多様化するアメリカの選挙民」P133-134

『ザ・ホワイトハウス』

もうすぐ配信が終了になるみたいなので、今日からHuluで『ザ・ホワイトハウス』を見始めた。偶数月なので第2シーズンから。
第1回は、第1シーズンの最終回で大統領が狙撃されたところから始まる。大統領がERに運び込まれる場面がすごくカッコいいし、きちんと取材して作ってるんだろうなというリアリティを感じる。無責任なことを言うようだけど、日本の脚本家でこういう場面をきちんと書ける人っているんだろうか。


全然関係ないのだけれど、これを見ていて、ガイジンてメガネをかけたり外したりするときに、ツルでなくフレームの部分を持つのに気がついた。日本人でそういう仕種あんまり見ないような気がするんだけどどうだろう? 理由はよくわからないけど、カッコいいのでマネすることにしました。

ザ・ホワイトハウス<セカンド・シーズン>コレクターズ・ボックス [DVD]

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無職な日々・日々の生活

失業中は、ハローワーク以外行かなければならない所というのがないわけで、もっぱら家事をやっていた。といっても掃除と夕飯の支度くらいである(洗濯はもともと自分の分は自分でやっていて、その他をヨメさんがやっていたのでそれには手を出さなかった)。夕飯の支度も週2、3日はヨメさんやコドモにまかせていて一週間ずーっと担当していたわけでもないので、『主夫と生活 (女性文庫)』みたいな専業主夫という感じではなかった。

平日は、朝みんなが仕事や学校に行ったあとはネコとふたりきりになる。布団をあげて掃除機をかけ、ながしに残っている食器を洗うと11時くらい(「あさイチ」とか見ながらやっているから遅い)。夕べの残り物とかで朝ごはんを食べているうちにヨメさんが昼休みで帰ってくる。午後は昼寝をしたり図書館や公園に行ってみたりするが、3時すぎには次女が小学校から帰ってくるのでその時間には家で起きているようにしていた。4時半ごろヨメと長女が帰ってくる。そうしたら夕飯の支度にとりかかり、6時に夕飯。テレビを見たりビールを飲んだりして9時になったら布団をしいて寝る。

という日々であった。

とにかく収入がないのでお金を使うようなことができない。またうちはなるべく食材をまとめ買いしてそのストックの範囲で毎日の献立を組み立てたりと、自由がきかず行動が制限される場面がおおくて、それが大変といえば大変だった。けれど不思議と、なかなか仕事がみつからなくてあせるとか、やることがなくてヒマを持て余すという感じにはならなかった((あとから聞くとヨメさんは「仕事みつからない→生活が荒れる→コドモに当たる→離婚→実家に帰る」というシナリオを描いていたらしい。なんだそれ)。そういえば大学5年、学校へ行く気をすっかりなくして特定の授業以外サボりまくっていたときも、アパートでひとりで何をするともなく生活していたのを思い出す。私は無業者という形態にわりと向いてるんじゃないかと思う。まあ向いてるっつったってずっとそんなわけにはいかないんですが。

今にして思えば、せっかく時間があったんだから、模様替えをするとか、テッテ的に片付けるとか、壊れたところを修繕するとか、すりゃあよかったなー。なぜかそういう気にはならなかったんだよなー。

とにかく、社会人になって初めての長いながいお休みは、このように過ぎていったのだが……(つづく)。

オンラインで他店の在庫を検索する件について

内気なユウコが少女を救う、タブレットが生み出す新たな感動体験
http://b.hatena.ne.jp/takanofumio/20131008#bookmark-164486182


上記のCMのなかで、販売スタッフのユウコさんがタブレットで在庫を検索して広島に1点あるのを見つけてお客さんに伝えてますけども。

これ、在庫データが正確だというのが大前提ですよね。

まあそれは各店の商品管理の精度の問題なので、「間違ってるなんてことがあっていいはずがない!」というスタンスでも構わないんですが。

ただその前提の上でも、「在庫1」というのはあくまでPOSで売上がたつまで変わらないんで、もしタブレットで検索したまさにその時に、広島店の店頭でお客さんがその商品を手にとってレジに向かっていたとすれば、ユウコさんはその商品を売れないはずなんですけど*1

そのまま確認しないでカードでお会計しちゃってるし。

お客様が行ってしまってから広島店に連絡して「え?アレもう売れちゃったよ?」っていうことになっちゃったら、これは厄介だよ。

リアル従業員の人は、お客様に言う前に広島店に電話して確認するのを忘れずに。

*1:広島店がその日定休日だったりしたらまあセーフかもしれませんけど、そういう情報はタブレットの画面上には出てなかった

無職な日々

某月末日 退職。
某月1日 図書館に行く。
2日 なぜか突然思い立ち、自転車で東京タワーを見物に行く(外から眺めただけ)。
3日 コドモをつれて近所の区立公園のアスレチック・コーナーに行く。
4日 ナニカの手続きをしに区役所に行く(何の用だったか忘れてしまった……)。
5日 図書館へ。
6日 国民健康保険の加入のため区役所へ。
7日 終日在宅。
8日 図書館へ。
9日 また用もないのに自由が丘へ。
10日 図書館。
12日 図書館。
13日 2駅はなれたところにあるスーパーへ買い出しに行く。
17日 前職から離職票が届く。
19日 ハローワークへ失業給付の申込に行く。
22日 図書館。
24日 コドモをつれてひと駅むこうの区立公園に遊びに行く。
26日 図書館。
28日 失業給付の説明会。初回の認定日は来月8日、最初の給付はそれから約一週間後とのこと。


モノの本によると、離職票は退職後10日以内に発行されるとのことだったのだが、私の場合上記のとおり17日だった。遅すぎ。それから書類そろえてハローワークで手続きをして説明会に出て待機期間だのなんだのがあって、結局1回めの支給があるのが翌月の16日ごろになるという。つまり最後の給料日からまるまる1か月半空いてしまうわけである。私の場合退職金等はなかった代わりに、残っていた有給休暇(37日…!)を買い取ってもらった分が翌月の給料日に振り込まれたのでかろうじて何とかなったんですけれども、本来なら貯金がなければ一家そろって路頭に迷うところだった。


とはいえ、先述したように退職前はオニのような忙しさで満足に職探しなんぞできなかったし、かといって有給をそのままつかって1か月就職活動をしたとしても(失業給付の支給開始時期は変わらないわけだから)、すぐに就職先が決まればともかくそうでない場合いきづまっていた可能性のほうが高い。結論としては、会社はとっとと離職票を出すべきなのだ。

それにしても図書館と公園というのは、無業者にとってなんとありがたい施設であることか。


というわけで無事待機期間を終え、初の認定日を待っていると……(つづく)